簡単で現実的、作りやすい料理をメインに発表することから人気を集めていた料理人ケンタロウ。「太一×ケンタロウ 男子ごはん」でその名を響かせます。しかし、2012年に降板してから全く音沙汰の無いケンタロウさん。果たしてケンタロウさんの現在は?
親子二代料理研究家のケンタロウ
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ケンタロウさんは1972年の10月3日生まれ、本名は「小林健太郎」という、料理研究家兼イラストレーターです。母親も同じく料理研究家の小林カツ代さん。親子二代で料理研究家になっています。テレビをよく見ていた人なら「太一×ケンタロウ 朝ごはん」で、中日新聞を読んでいた人なら毎週土曜日に「ケンタロウの快食レシピ」や「うまい話」で、ゲーム好きな方ならプレイステーション用ゲームの「バーガーバーガー」の料理監修・キャラクターデザイナーとして知っているのではないのでしょうか。母親の小林カツ代さんは、簡単であり、それでいて手抜きではない料理を専門に研究・紹介していて、生涯で総数200冊以上の著書を出版しています。ケンタロウさんも同じように簡単な料理を紹介していて、こちらは「簡単で現実的ながら、現代風のアレンジが施された料理」と評されています。
国分太一との共演番組「太一×ケンタロウ 朝ごはん」
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2008年より「太一×ケンタロウ 男子ごはん」という番組名で始まった料理番組。現在でも国分太一さん単独で「男子ごはん」という番組名に変更した状態で続いています。番組のテーマとしては「新感覚料理&トークバラエティ」というもの。定期的にゲストにナインティナインの岡村隆史さんが出演するのが1つのお決まりでした。今では器用なメンバーが集まるTOKIO内でも、料理の腕ならそこそこと言える程に成長した国分太一さん。番組当初はカレーすらもまともに作ったことが無いという料理べたでした。国分太一さんが料理上手になるきっかけを作ったケンタロウさんは2012年に降板してしまいます。その理由こそ「バイク事故」なのです。
現在まで症状が続いている?ケンタロウのバイク事故
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ケンタロウが番組を降板し、治療に専念せざるを得なくなった事故。それは2012年の2月4日の深夜に起きました。ケンタロウさんはオートバイの運転中に、東京都の首都高のカーブを曲がりきれず、6メートルある高さから落下してしまいます。頭部骨折という重症を負いながらも奇跡的に一命を取り留め、治療に専念するという形で同年の6月28日に番組に降板の申し出を出しました。更に同年8月21日には雑誌「女性自身」にて自身の現状を報告。「高次脳機能障害」で寝たきりの状態だということが報じられました。順調に回復には進んでいる用で、2014年の6月に退院したとのこと。ただ、高次脳機能障害というのは文字通り脳へのダメージが原因。知っている方もいらっしゃるでしょうが、現状脳細胞や脳神経だけは再生しません。欠損以外の怪我ならば処置をして自然治癒を待つこともできますが、脳の損傷だけは「改善」できても「再生」はできないのです。
回復に繋がったのは献身的な妻の存在か
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事故後は両手両足は麻痺状態、記憶障害や言語障害という重症状態で、満足に食事ができるわけもなく、完全な寝たきりでした。それを支えていたのは妻の大谷マキさんだと言われています。ケンタロウさんと大谷マキさんは事件の2年前、2010年に結婚しました。大谷マキさんはケンタロウさんが事故にあい、寝たきりで話しかけてもほとんど反応しない状態であっても、毎日ケンタロウさんの元に訪れては看病をしながら毎日の出来事を報告していたと言います。そしてその献身的な介護あってか、事故後はチューブで食事を摂る事しかできなかったケンタロウさんも、人の手を借りながらも流動食が食べられるようになったのだとか。手足の麻痺も少しだけ動かせる程度には回復し、ある日看護していた奥さんの頭を撫でたのだとか。
まとめ
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順調に回復に向かっているケンタロウさん。2017年で事故から5年経ちますが、それでもまだ料理人として活動復帰できるような状態では無く、歩くにも誰かの支えが必要です。今はまだ脳治療の技術が確立していません。しかし、医学の進化は日進月歩。いずれは脳の障害も治療できる日が来るでしょう。そうなれば、ケンタロウさんもまた国分太一さんと一緒に男子ごはんへ出演することができるかもしれません。