読売テレビの清水健アナ。
息子を出産した112日後に、妻を亡くし、20キロ激ヤセした結果、遂に退職をすることに決めました。
その理由を知って、涙が止まりませんでした…
清水健のプロフィール
愛称:シミケン
出身地:大阪府堺市南区
国籍:日本
生年月日:1976年4月19日
血液型:A型
最終学歴:中央大学文学部社会学科
部署:アナウンス部
職歴:読売テレビアナウンサー(2001年 – 2017年)
ジャンル:報道・情報・スポーツ番組
家族:長男・妻(2015年2月死去)
2001年に大阪読売テレビに入社した清水健アナウンサー。
視聴者たちからは愛称“シミケン”と親しまれています。
清水健アナは入社した直後から『どっちの料理ショー』に出演し、それがきっかけで知られる存在となりました。
2011年の秋からは、平日夕方のローカルニュース番組『かんさい情報ネットten!』のメインキャスターに抜擢されていました。
清水健アナがキャスター就任した後、視聴率を伸ばしただけでなく、関西の夕方の顔にもなって、読売テレビのエースアナへ成長しました。
2013年5月、清水健アナは番組のスタイリストとして働いていた奈緒さんと結婚をしました。
翌年2014年3月、奈緒さんは妊娠をしたことが分かり、順調に人生を歩んでいると誰もが思っていました。
ところが、妻の奈緒さんの妊娠が分かった直後、乳がんであることが発見されたのです。
医師からは、お腹の中の赤ちゃんを諦めて、治療を優先するよう勧められました。
しかし、清水健夫妻が出した結論は、「子どもも治療も諦めない」と。
奈緒さんは妊娠中に乳がんの手術を行い、2014年10月に男の子を無事に出産しました。
出産した後、奈緒さんはがんの治療に専念していました。
しかし、病魔は既に奈緒さんの全身を蝕んでいたのです。
2015年2月2日、清水健アナはメインキャラクターを務める『かんさい情報ネットten.』で、「家族の介護」をすると、休養に入ることを発表しました。
家族とはもちろん妻の奈緒さんのことです。
しかし、当時は読売テレビの上層部と、親しいタレントの一部しか詳細の理由を知らされていなかったそうです。
清水健アナの献身的な看護にもかかわらず、奈緒さんは29歳という若さで天国へ旅立ちました。
葬儀で、生後三ヶ月の息子を抱きながら喪主を務める清水健アナ。
喪主のあいさつで清水健アナはこのように述べていました。
「ちょうど1週間前、『まだまだいい妻でいたい、いいママでいたい』と言っていました。『胸を張って、いい妻だったよ、いいママだったよ』と言ってやりたいと思います」
「悔しい思いでいっぱいだったと思います。ただ、これがピリオドだとは思っていません。この子の成長を、奈緒と一緒に…。皆さま、見守っていただければ幸いです」
引用:daily.co.jp
結婚をして約1年9ヶ月、奈緒さんがお母さんでいられたのは、たったの112日でした。
奈緒さんが帰らぬ人となった8日後の2015年2月19日、清水健アナは『かんさい情報ネットten.』のメインキャスターに復帰し、視聴者に向けてあいさつをしました。
「今日から復帰します。皆様の温かいご理解のもと、妻を見送ることが出来ました。今日からまたニュースと向き合い、しっかりとお伝えします」
引用:wikipedia
同じ境遇を経験した人々からはたくさんのメッセージが寄せられ、それに丁寧に返信を送り返すが清水健アナが逆に心配されるほどだったのです。
人々とコミュニケーションを取っている中、何かできることはないかと自分に問い始めた清水健アナ。
2016年2月、奈緒さんの一周忌であるこの日に、『112日間のママ』が出版されました。
『112日間のママ』は発売1ヶ月で10万部を超える売上を記録しました。
その後も売れ続けていて、15万部を超えるベストセラーとなっていました。
この本で得た印税で清水健アナは「清水健基金」を設立して、入院施設の充実や、がんの撲滅、難病対策などに取り組む団体や個人を支援する活動をスタートしたのです。
幼い息子の子育てと仕事を両立させながらも、週末にはがん患者とその家族に向けた講演会をするために全国を飛び回っています。
「“せっかくお話をいただいているのだから”と、条件さえ合えば講演の依頼は基本的に断らない。ただ、あまりの多忙に顔色が優れない日も多く、“テレビに出られる顔してる?”と周囲に聞くこともありました」(清水アナの知人)
引用:news-postseven.com
子育てと仕事、講演会で非常に忙しい生活を送ってきた清水健アナは、3か月ほどで約20kgも痩せてしまったのです。
テレビ局関係者たちだけでなく、奈緒さんの担当医だった医師からも休養を勧められるほどに激ヤセした清水健アナ。
そこで、退職を決意したのです。
その理由は、キャスターは他の人にもできるけど、父親と講演は自分にしかできないからと考えて決めたそうです。
「清水さんは“こんな経験しないほうがいいに決まっているけど、だからこそ本当の人の温かさを知った。自分の経験談は、自分にしか話せないものだから”と強い使命感を持っているんです」(前出・知人)
引用:news-postseven.com
「奈緒さんに『息子だけは必ず守る』と約束したはずなのに、それができていない自分がいると感じてしまったそうです」(前出・知人)
引用:news-postseven.com
退職にあたって、清水健アナは、「子どもとの時間を大切にしたい」と会見で語っていました。
2017年1月27日をもって『かんさい情報ネットten.』を降板し、2017年1月31日で読売テレビを退社したのです。
退社した後は父親として責任を持って子育てをしながら、講演活動を続けています。
シングルファーザーとして子どもを育てるのはとても大変なことです。
健康に気をつけながら、清水健アナがしたいこと全て、実現していくことを見守っていたいです!
ネットでは…
「この人と結婚出来て奥さんは幸せだったと思う」
「シングルマザーよりもシングルファーザーの方が大変だよね」
「お子さんの為にも自分の身体を大事にしてくださいね」
「いつかフリーアナとして戻ってきてほしい」