未だに多くの人から絶大な人気を誇る岡田有希子、しかし彼女はデビュー3年で全国ツアー中に自殺をしました。そしてその遺体の画像が世の中に出てしまったため、大きな影響を与えた人物でもあります。
岡田有希子、努力家のデビューから自殺まで
1967年愛知県生まれの岡田有希子は小学生の頃から芸能タレントを夢見る少女でした。そして中学生になると様々なオーディションを受け始めます。
中学3年の時オーディション番組「スター誕生!」の予選会出場権を獲得し「内申書を書かないぞ」と脅しながら反対する担任にも負けず出場、決勝進出を決めました。しかし、決勝に関しては家族が大反対、母が学力面でかなり難しい条件を三つも出したのにも関わらず全てクリアして決勝に出場しアイドルとして活動することになりました。
それ以後は忙しい毎日を送っており、歌にドラマにそして学業にと手を抜かない日々が続きました。
1986年4月、全国ツアーが始まって3日後に自宅マンションにてリストカットをした上でガス自殺を図りますが、同マンション住民が臭いに気付き通報、病院に搬送されて治療を受け所属事務所に帰りました。その直後、事務所の入っているビルの屋上から飛び降り、全身強打により即死しました。
アイドルの遺体の画像を週刊誌に乗せられる時代だった
知らせを受けて駆けつけた報知新聞の記者は岡田有希子の遺体を写真に収めました。
また、ワイドショーでは動画も放送されたため、ウェルテル効果と呼ばれる「自殺報道の影響で自殺者が増える」という現象も起き、他のアイドルや俳優が歌番組やワイドショーなどで「後追い自殺をしないで」と何度も呼びかけることとなりました。後にこれは「WHOの自殺報道の手引き」にて言及されることにもなりました。
岡田有希子の自殺の原因はなんだったのか?
鉛筆書きの遺書が残されており、そこには俳優・峰岸徹宛ての謝罪の言葉があったため、二人の男女関係が原因だったのではという声も聞かれます。また、当時は芸能人の勤務時間等について取り締まりが緩く、仕事のストレスによるものではないかという声も多く聞かれます。また、自殺するひと月前までは高校生で岡田有希子の真面目で頑張り屋の性格上、勉学でも全く手を抜くことなく学業とアイドル業を目一杯両立していたと言います。睡眠時間はほとんど取れない日も続いていたといい、その影響も考えられます。
岡田有希子はなぜ今でも人気があるの?
未だに祥月命日には多くのファンが墓前に花を供えたり、現場となったビルにも花を手向ける姿を見ることができます。亡くなって30年という年月が経っても多くの人に慕われる理由として「3年という短いアイドル期間であった」「これからというところで応援している人が多かった」「誰とも結婚せず、老いることもない」「永遠の18歳」などと言われています。
まとめ
生前の岡田有希子の画像を見るとチャーミングな笑顔や透き通るような歌声が大変魅力的ですが、最初で最後のヒット曲となった「くちびるNetwork」で歌番組に出演する姿は心なしか笑顔が少なくなっているようにも見えます。所属事務所社長は自身が死ぬ間際まで岡田有希子を救えなかった事を悔いていたと言いますし、自殺直前の帰省では普段強気の岡田有希子が「誰か東京に来た方がいいみたい」と弱気な発言をしていたと言います。誰かが異変に気づいていれば今でも元気に活躍する姿が見られたのでしょうか。期待されていただけにとても残念ですね。