内海和子は1985年に誕生したおニャン子クラブの初期メンバーで、会員番号13番。グループ内では三番目に年長で、卒業後のヌ〇ド写真集でも話題を集めました。内海は、最近は1人娘のゆりあんぬが、地下アイドルのメンバーで、整形遍歴など破天荒な言動で注目されたことによって再び脚光を浴びています。
内海は自分の知らぬ間に娘のゆりあんぬはオーディションに行っていたらしく、地下アイドル活動を知ったのはだいぶ後になってからだと言います。思えば、最初に与えたのがパソコンだった言い、フィルターもかけずに好きなように使わせていたそうです。将来、芸能活動をするんだろうなと薄々は感じてたが、まさかアングラというか地下アイドルとは夢にも思わなかったですと言いました。
内海と言えば、おニャン子卒業後に出した艶写真集(1993年『from PHOENIX』スコラ)が印象的だが、なぜ脱ごうと思ったかという問いに対して「実は当時、プライベートでも進展があった時期で。私より先にメンバーが色っぽい写真集を出版していて、それを見本に「やってみないか?」と提案されました。メンバーのセクシーな写真集はその時初めて見ましたが、非常に好印象で、条件付きでしたが引き受けてみました」と語ります。
プライベートでも変化のある時期で自分がこの先どうしていこうか悩んでいた矢先のオファーだったそうで、今までずっと正統派なイメージできたわけですけど、地に足がついてないというか、どうしていいのか非常に苦悩していたと言います。また内海はこれをきっかけに、一度芸能界から身を引こうと決意したそうで、撮影場所や衣装など、納得するまで打ち合わせはしたそうです。
出来栄えとして、内海は、『周りの評価は「色気がない」と言われました。』と言い、続けて「まあ、自分でもそう思いましたね。実は当時の私には女性ファンが多くて、男性ファンの方に向けては作ってないんです。表紙には胸も出ていますけどアバラ骨が出ている状態でガリガリ。男性が見ても魅力がなかったと思います。」と語りました。
ネットでは、この艶写真集に対して「確かにそんな魅力はないけどスタイルはいいよね」「懐かし」「これギャラ確か1千万くらいもらってなかったっけ?」「娘の整形費用行きか」などとのコメントが寄せられていました。
[著作権者VONVON /無断コピー、無断転載および再配布禁止(違反時の法的措置)]