かつて髪に強いコンプレックスがあった土屋光子さん(当時40)。土屋さんは約30年間、自分で自分の髪を抜くことをやめられない「抜毛症」に悩んできました。過去にブログで公表し、自ら髪を剃り上げ、病気を治そうとしない道を選びました。「抜毛症と向き合わず、幸せを他人に依存する自分と決別するためだった」と言います。
姉の姿を真似て抜毛症に
土屋さんが髪の毛を抜き始めたのは、小学校低学年のころ。姉が枝毛を抜く姿を見て、まねをしたのがきっかけでした。「プチッ」という感覚が気持ちよく、やめられなくなってしまいました。土屋さんの父と母が不仲で、よく言い争いをしていました。それが原因かどうかはわかりませんが、ストレスを感じていたそうです。
母は髪を抜く土屋さんを見て「私のせいでこうなっちゃった。ごめんね」と言いました。土屋さんは母のことが好きでしたが、母に「ごめんね」と言われ続けたため、土屋さんもいつしか、「お母さんのせいだ」との思いが強くなってしまいました。
抜毛を「してはいけないこと」と思ったそうで、髪を抜かないように、寝るときに手袋をしたり、テレビを見るときに手に物をもったりと、いろいろ工夫もしました。
でも、やめられない。「どうしてだろう……。私はダメな人間なんだ」と土屋さんは自分を責めました。
髪の毛は頭のてっぺんから、徐々になくなっていきました。髪の毛を結んだり、襟足ウィッグを使ったりして隠しました。「ばれてはいけない」との思いが強かったと言います。日に日に醜くなっていく恐怖心。周りの視線が気になりました。はげ頭を見られることは、土屋さんにとって下着を見られるのと同じくらいの恥でした。背の高い男子が近づいてきたら避け、ばれないことが何より重要なことでした。
小学校高学年のとき、両親が離婚。父親と姉の3人で暮らすことに。中学生のころ、父が育毛剤を買ってきました。父なりの気遣いだったと思います。でも「余計なことをしないで」「その話題に触れないで」とうっとうしく感じました。
高校生になると、髪の毛がない範囲がサイドまで広がり、ヘアスタイルでは隠すことができなくなりました。焦った土屋さん。数十万円するカツラを購入するため、母親からお金をもらいました。母に「あなたのせいでこうなったからお金を出して」と詰め寄りました。
当時の土屋さんは精神的に荒れていて、親の事情を考えたり、思いやる気持ちを持つことはできなかったのです。
旦那さんへの秘密と疑問
高校を卒業後、ヘアメイク、エステティシャン、一般企業、芸者など様々な職を経験します。ただ、髪の毛を抜く症状は治らず、ウィッグは欠かせませんでした。32歳のとき、芸者の先生と結婚。2人の子どもにも恵まれました。
しかし、夫にも抜毛症を隠し続けました。自分自身が抜毛症であることをまったく受けいれていないのに、他人に伝えることはできません。たとえ、夫であっても。髪の毛を抜くことがやめられないのは「きっと私が寂しいから。自分が愛されていないから」と思い込んでいました。だから幸せな家庭を築けたら、自然に治るだろうと期待しました。
でも、結婚しても、子どもが生まれても治りません。抜毛症も心の寂しさも、他人のせいにする自分がいたのです。
土屋さんは「隠し続ける人生」に疑問を感じるようになりました。子どもが2人生まれ、これからお金がかかるときに、ウィッグに数十万円ものお金を使うことがもったいないと思うようになりました。
そして、幸せや愛を他人に求めるばかりで、土屋さん自身が抜毛症や自分と向き合っていないことに気づいたのです。「抜毛症であることを否定せず、ちゃんと向き合ってみよう。抜毛症であることも含めた自分を、丸ごと愛してあげられるようになりたい」と思いました。
カミングアウトして
土屋さんは夫に髪がないことを初めて告白しました。「もうウィッグにお金を使いたくない。剃っちゃおうと思う」と伝えました。すると、夫は「尼さんみたいになるんだね。御仏(みほとけ)につかえる身になるんだね」とユーモアで返してくれました。
そしてついに、ブログで抜毛症を公表しました。ブログに公開したのは、抜毛症を受け入れ、共に生きる覚悟を示すためでした。とはいえ、やっぱり怖かった。髪の毛をそる2日前には全身にじんましんがでました。夫への告白、ブログでの公開を通し、土屋さんは「隠さなければならない」「抜毛症を治さなければならない」という執着心から解放されたのです。
土屋さんは今、髪のない女性が生き生きと暮らせる社会を目指す団体「ASPJ(Alopecia Style Project Japan)」の中心メンバーです。スキンヘッドのパフォーマーとしても活動し、自分の経験をファッションやアートを通して届けたいと考えています。抜毛症だけでなく、円形脱毛症や抗がん剤の副作用などが原因で、髪を失う女性はたくさんいます。『髪は女のいのち』という価値観に、当事者たちは苦しんでいます。ASPJでは、病気を治すことにこだわるのではなく、『楽しいこと』や『心地よいこと』にフォーカスしています。患者である前に、みんな女性。交流会ではファッションやメイクを楽しんだり、お互いの経験や知識をシェアしたりしています。
交流会に参加し、『一人じゃなかった』と涙を流し、かつらを人前で初めて外してくれた方も。髪のない女性は、『隠さないといけない』という意識が強く、オシャレを純粋に楽しみづらいんです。例えば、化粧品売り場のコスメカウンターに足を運べません。店員に前髪をかき上げられ、ピンでとめられると、ウィッグがずれる恐れがあるのです。
髪がなくても美しい
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