1987年(昭和62年)4月、85歳だった昭和天皇が大戦の戦争責任に言及されることに対して苦悩していた記述が、元侍従の小林忍氏の日記に残されていました。
写真:朝日新聞デジタル
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昭和天皇の発言の内容としては、「仕事を楽にして細く長く生きても仕方がない。辛(つら)いことをみたりきいたりすることが多くなるばかり。兄弟など近親者の不幸にあい、戦争責任のことをいわれる」と記されていることが分かりました。
写真:Yahoo! JAPAN
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23日、小林氏の日記は遺族によって公開されました。1987年4月7日の欄には、「昨夕のこと」と書かれており、戦争責任を巡った発言が書かれていました。当時高齢となった昭和天皇の負担軽減が検討される中、当直の侍従であった小林氏に語ったとされていることが分かりました。中の「兄弟など近親者の不幸」というのは、2か月前の1987年2月、弟である高松宮が亡くなったことなどを指しているとみられています。
写真:blog.livedoor.jp
そんな昭和天皇の気弱な発言に対して、小林氏は、「戦争責任はごく一部の者がいうだけで国民の大多数はそうではない。戦後の復興から今日の発展をみれば、もう過去の歴史の一こまにすぎない。お気になさることはない」と励ましていたと書かれていることが分かりました。
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この時のやりとりに関しては、すでに公表されている卜部(うらべ)亮吾・元侍従の日記の中でも、4月7日の欄には「長生きするとろくなことはないとか 小林侍従がおとりなしした」などの同じ趣旨の記述があったことが分かりました。
写真:朝日新聞デジタル