1983年4月15日、「夢と魔法の王国の扉」がついに日本で開かれました!当時の午前中は、あいにくの雨でした。しかし、約1万8000人ものゲストがパークを訪れ、華やかなお祝いのイベントが繰り広げられていたのです!
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jpディズニーランドの建設に携わったのは、三井建設、清水建設、竹中建設、そして大成建設の大手ゼネコンの4社でした!東京ディズニーランドの建設費はおよそ1800億円で、当時に建設候補地として選ばれたのは浦安市舞浜の他に、長野県大鹿村、静岡県清水市(現静岡市清水区)、同御殿場市、神奈川県横浜市、同川崎市、千葉県我孫子市、茨城県ひたちなか市などがありました。
チケットに関しては、昔はパスポートの他に「ビッグ10」や、「アトラクション券」「入園券」と呼ばれるチケットがありました。また、東京ディズニーランドの開園当初は、パスポートは平日のみ有効でした。
土・日・祝や連休期間などに入園する場合は、アトラクション1回につき1枚が必要となるアトラクション券と入園券がセットになった「ビッグ10」がありました。入園券の他に、A~Eの5種類のアトラクションチケットがあり、Aは一番安く1枚100円、Eは一番高く400円でした。
チケット毎に乗れるアトラクションは決まっており、カリブの海賊、ジャングルクルーズ、イッツ・ア・スモールワールド、ホーンテッドマンション、スペース・マウンテンなどの人気アトラクションはEチケットがなければ乗れませんでした。
開園当初のディズニーランドのテーマランド数は5つありました。「ワールドバザール、トゥモローランド、ファンタジーランド、ウエスタンランド、アドベンチャーランド」
ディズニーシーはおろか、トゥーンタウンもスターツアーズもビックサンダーマウンテンもない時代で、オープン当時のアトラクションは32、レストラン29、ショップ39でした。
開園した以降に誕生したのはアトラクションに関しては…
1985年エレクトリカルパレード
1987年ビッグサンダーマウンテン
1989年スターツアーズ
1992年スプラッシュマウンテン
東京ディズニーランドがオープンした当時のポップコーンの箱は、赤やオレンジをベースとした色合いの中に描かれたシンデレラ城で、箱にはシンプルに「Tokyo Disneyland」と書かれていました。
こちらは、1990年のディズニーランド。
パレードといえば昼にやるものという認識だったが、1985年3月9日 – 1995年6月21日にかけて、東京ディズニーランドでは夜のレギュラーパレードが開催されていました。
また、ディズニーランドのシンデレラ城には以前に「シンデレラ城ミステリーツアー」というアトラクションがありました。
勇者のメダルがもらえるので、思い出に残っている人も多いのではないでしょうか。
ディズニーのヴィランズ(悪者)たちに乗っ取られたシンデレラ城を取り戻そうと、シンデレラ城内を冒険するアトラクションで、2006年4月2日からの5日までの4日間は、アトラクションに参加したゲスト全員に魔王ホーンドキングと戦った勇者のみに与えられるメダルが配布されたそうです。
こちらは、オープンした頃の袋です!
舞浜駅に関しては1988年に開業しました。舞浜駅がまだなかったころは、東西線の浦安駅からバスで来園していました。駅前から少し離れた場所にバスの発着場があったが、そこまで信じられないほどの長さの行列ができていました。JR舞浜駅はかつてはオリエンタルランドの土地で、駅も含めた再開発で舞浜駅を作り、JR東日本に売却したのです。下の写真は、まだ舞浜駅がなかった頃です。
当時に駅名を「ディズニーランド駅」にしなかった理由は、風俗店やパチンコ店などに「ディズニーランド駅前店」という名称を使用されると「夢」を売ることを事業としているディズニーランドの印象が悪くなってしまうからでした!
オープンして今年で38周年を迎える夢と魔法の王国「東京ディズニーランド」、この機会に、夢と魔法の王国「東京ディズニーランド」に訪れてはいかがですか?
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