芸能界は厳しい世界!
毎年、新しい芸能人が売れては、いつのまにか消えていく芸能界。
厳しい世界ですよね~~~!
あなたは、過去に売れたがいつのまにか見なくなった芸能人を覚えていますか?
懐かしい~~~なんて思っちゃうかもしれません!
パイレーツ
パイレーツは、浅田好未と西本はるかのコンビで結成された、グラビアアイドルとお笑い芸人の折衷型のタレントです。
『ボキャブラ天国』に出演し、評価は高くなかったが、巨乳をアピールした漫才の芸風でブレイクしました。
「だっちゅーの」は1998年は、同年度の新語・流行語大賞を受賞し、さらに1999年にはゴールデン・アロー賞の話題賞を受賞するなど誰もが知る言葉に!
2001年9月、西本が女優を目指すという理由で脱退したために解散しました。
その後、浅田は事務所を移籍し、宇恵さやかと新生パイレーツを結成しましたが、ギャグを封印。
バラエティ番組への出演を控え純粋にグラビアアイドルとして活動するが、2004年に再解散しました。
真中瞳
生年月日: 1979年10月30日 (38歳)
生まれ: 日本 大阪府
現在は、東風 万智子として活動している女優さん。
1999年、日本テレビのバラエティー番組『進ぬ!電波少年』にて真中 瞳の芸名でデビューしました。
番組の企画「電波少年的ハルマゲドン2」「電波少年的80日間世界一周」でブレイクしました。
2006年夏に所属事務所であったワタナベエンターテインメントを辞め、オーストラリアに約1年半語学留学するとともに、東京都内でOLとしても働いていたようです。2009年に入り、旧事務所のプロフィール欄から名前が削除され、一部報道では引退したと伝えられていました。
2009年、芸名を東風 万智子(こち まちこ)に変え、2009年10月15日から19日にかけて東京都墨田区アサヒ・アートスクエアで上演された音楽朗読劇「HYPNAGOGIA」に出演、復帰しました。
ですよ。
「『ですよ。』ですYO〜!」「あ〜い、とぅいまてぇ〜ん!」と続き、「YO!YO!ですYO!、YO!YO!ですYO!」「『ですよ。』の最近は、あやまることばっか。」「今日も昨日も一昨日もあやまることいっぱ〜い。そ〜いうこと〜。」というギャグでヒットした芸人です。
エンタの神様などによく出演していましたね!
もう中学生と共に「もう中学生ですよ。」というコンビを組みM-1グランプリに出場したこともあるようですね!
パペットマペット
通称「パペマペ」。うしくんとかえるくんによるパペット漫才コンビです。
2人の間には黒子が立っていますが、芝居の伝統に則り『いないもの』として扱う芸風でした。
可愛らしい風貌とは裏腹にネタはけっこうブラックなネタでしたね!
「エンタの神様」では「パペマペX」という名前で活動し、一時期パペット人形ブームを巻き起こす程の人気を獲得していました。
いつもここから
「悲しいとき〜」といいながら、スケッチブックをめくりイラストを見せるギャグを披露し、大ヒットしましたよね!懐かしい・・・・。
また、「どけどけ〜どけどけ〜邪魔だ邪魔だどけどけ〜どけどけ〜」と特攻服姿で登場し、「○○○だバカヤロ、コノヤロオメェ(聞こえ方は“コンニャロオメェ”)」というギャグも面白かったですよね!
テレビ番組『ピタゴラスイッチ』にもレギュラー出演。
同番組がきっかけで、「アルゴリズムたいそう&こうしん」というCDもリリースしています。
花*花
1998年にデビューした女性デュオ。
メジャーデビュー曲の「あ~よかった」はよみうりテレビの『ダウンタウンDX』のテーマ曲に使われるなどして大ヒット、TBS系の『第33回全日本有線放送大賞』では新人賞を受賞したり、『第51回NHK紅白歌合戦』にも出場し、続く2001年に「さよなら大好きな人」もドラマ『オヤジぃ。』の主題歌に起用されるなど、将来を有望視されていました。
その年に「今年ブレイクしそうなアーティスト」で1位を獲得するも、2003年に活動休止を発表し惜しまれました。
鈴木その子
昭和50年代から平成年代にかけての美容研究家・料理研究家。
1990年代後半には、その異様に白塗りした仮面のような顔と、テレビ番組出演の際に顔だけ集中的に照明で照らすという演出方法により、「美白の女王」としても一世を風靡しました。
しかし、2000年11月下旬に風邪をこじらせて入院して1週間後、肺炎のために68歳で急逝しました。
坂本ちゃん
『進ぬ!電波少年』の企画「電波少年的東大一直線」のオーディションに合格し、東京大学合格を目指して家庭教師のケイコ先生(春野恵子)の下で8か月間勉強するが、不合格でした。
企画は「どこでもいいから一直線」に変更となり、結果日本大学文理学部など8校に合格して日本大学に入学。
しかし入学直後から仕事が忙しくなり、学業を二の次としたため7年間在籍するも卒業できず中退したようです。
柏原崇
「白線流し」「イタズラなkiss」で人気者になった俳優、柏原崇さん。
2004年12月30日、柏原崇さんは自宅近くの世田谷区野沢の区道を大型乗用車で通行しようとしました。しかし、一般企業に務める会社員が親類宅の敷地から約80cm、区道にはみ出した状態で洗車をしていたため、どけるように注意したそうです。
しかし、会社員は「他の車はみんな通れている」と反論し、柏原崇さんも「運転してみろ」などと言い返したため、口論に発展。ヒートアップした柏原崇さんは、会社員の左目の上あたりを殴り出血させてしまい、その場で110番通報されました。
三木道山
レゲエディージェイ、ミュージシャン。1993年頃から、地元のクラブを中心にDJとしての活動を開始。
ジャマイカに渡って修行を積み、1995年レコードデビューしました。2001年には、5月にリリースした「Lifetime Respect」が空前の大ヒット。日本のレゲエ史上初のオリコン1位を獲得し、累計売上は約90万枚、出荷枚数はミリオンセラーを突破し、社会にレゲエシーンを知らしめることに成功しました。
現在は、DOZAN11という芸名で活動されてます。
湯浅卓
日本人のアメリカ合衆国弁護士(ニューヨーク州、ワシントンD.C.)であり、タレントとしてのテレビ出演で知られました。
日本の弁護士資格は有さず、また外国法事務弁護士としての登録も行っていないようです。テレビ番組に出演した際の強烈なキャラクターで知名度が上昇しました。
t.A.T.u
初期のt.A.T.u.は、リェーナとユーリャがレズビアン・カップルであるというイメージを前面に押し出していました。
しかしそれはグループのイメージの一部でしかないことが、2003年のドキュメンタリー『Anatomy of t.A.T.u.』にて明らかにされています。
リェーナとユーリャはレズビアンではないそうです。
日本での活動では、生放送をバックレるなど話題になりましたね!
天津木村
「吟じます〜なんだかイケそうな気がする〜あると思います」というネタで人気が出ましたね!
しかし、その内容は卑猥なために、当然非難や抗議も多かったようです。
一度聞いたら忘れられないリズムで今でも覚えている方も多いのではないでしょうか!?
桜塚やっくん
色々と芸を模索し、オフィス★怪人社本公演「太極五福星」に出演した際、女装した時のメイクが浜崎あゆみにクリソツだったことから、女装キャラに転向したようです。ネタの際に「スケバン恐子」というキャラクターを演じてブレイクしました!
しかし2013年10月5日、山口県美祢市内の中国自動車道で交通事故により亡くなりました。享年37歳でした。
上地雄輔
2007年に「おバカタレント」としてブレイクし、2008年に音楽ユニット羞恥心・アラジンのメンバーとしても活動しました。
2009年3月11日に遊助名義で自らが作詞した「ひまわり」でソロデビューし、大ヒットしましたね!
ヘキサゴンファミリーとして人気を博していたのですが、2011年の島田紳助さんの引退に伴って徐々に表舞台から姿を消していきました・・・。
Juliet
2009年にファッションモデル10人からなるプロデュースチーム「Romeo」のプロデュースによりシングル『ナツラブ』でデビューしました。
デビュー当初は顔を明かさない「覆面ユニット」として活動していたのですが、2枚目のシングル『フユラブ』を発売する頃に顔が公開されています。
女子高生に人気のユニットでした。
デビュー7周年となる2016年には、Maiko、Yumiのツインボーカルとして新たなスタートを切ています。
8.6秒バズーカー
元々は普通に漫才をしていたのですが、はまやねんが口下手で、ネタを言うタイミングがうまく行かなかったことから「リズムに乗せればネタもタイミング良く言える」という発想でリズムネタを行うこととなったそうです。
「ラッスンゴレライ」というフレーズがお馴染み・・・でした。消えちゃいましたね・・・。
クマムシ
「アイドルソング漫才」と称して「もしも女の子に生まれ変わったら」などのテーマで歌ネタを披露し、その中で様々な温かく感じるものを長谷川が「あったかいんだからぁ」と歌うネタで人気になった芸人。
2014年9月放送の『アメトーーク!・ザキヤマ&フジモンがパクリたい-1GP』でこのネタを披露したところ話題となり、直後に着ボイス化が決定、後にこの着ボイスがデイリーランキング1位も獲得しました。
更には「あったかいんだからぁ♪」でユニバーサル・ミュージックよりCDデビューしています。