離婚・阿部哲子
生年月日: 1978年11月14日 (39歳)
生まれ: 日本 千葉県 浦安市
元日本テレビのフリーアナウンサー、阿部哲子がTOKYO MXの生情報番組「バラいろダンディ」(月~金曜後9・0)に生出演。この日、サンケイスポーツが報じたTBS局員の夫と5月に離婚していたことについて生報告した。同番組で月~木曜MCを務めている阿部アナ。この日のニュースランキング9位として自身の離婚の話題が取り上げられるも、ニュース原稿を読み上げた。
共演者からは「自分で読むか」とツッコまれたが、「つい、原稿になっているので…。すみません」と照れ笑い。離婚理由について「価値観が段々ずれてきちゃって、溝が埋められなくなっちゃった」と説明。「子供のことは2人でこれからも協力していこうねっていうので、話し合いはかなり長くやりました」と明かした。
離婚を報じられたことについては「誰にも言わなかったですし、発表する気もまったくなかったんですけど…」と驚いていた様子だった。
2人は交際5年で、阿部アナの28歳の誕生日だった2006年11月4日に結婚。当時、タイ・バンコクに赴任中だった夫と同居するために阿部アナは、07年9月に日本テレビを退社。移住後、現地で09年10月に長男を出産した。阿部アナは現在、日本で生活。12年にはジュエリーブランド「Vertigo」を立ち上げ、活動の幅も広げている。
離婚・宮崎宣子
生年月日: 1979年9月4日 (38歳)
生まれ: 日本 宮崎県 宮崎市
2011年のクリスマスイブに1歳上のレコード会社勤務の男性と入籍も、2014年9月5日に離婚。結婚生活は3年弱で終止符を打っています。
離婚発表の翌日、出演したラジオ番組で「愛を押し付け過ぎた」と原因を語っていた宮崎アナ。この日も「私が尽くしすぎた。尽くし方を間違えた。忙しい彼に対して尽くすことが自分の幸せだと感じてしまっていた」とあらためて振り返った。
宮崎アナはある日夕食後の洗い物の時に、「自分のことを彼は好きではないんだろうな」「好きでもないのに夫婦。なぜこの人と一緒にいるんだろう」と感じてしまい涙が止まらなくなったと言います。
宮崎アナは、バツイチとなった当時は「すっごい病んでました」と振り返る。MCの大久保佳代子が、同じ時期に離婚した西川史子も病んでいたことを指摘すると、宮崎アナは「西川先生とは(カメラが)回ってないところで、ず~っと話してました」と明かした。さらに、その輪に2015年に離婚したスザンヌも加わり、よく3人で話していたとか。
離婚の原因について、現在の宮崎アナは「最終的には(相手と)合わなかった」「タイミングとか時期とか、そういうことでしか片づけられない」という結論に至ったそうだ。
「結婚イコール幸せとかいうよりも、一緒にずっと居られる人っていう感じだった。だから価値観のすり合わせとか余りしなかった」という宮崎。「私から結婚を決めていることもあって、しなくていいのに(相手に)気を使い始めてしまった。自分と結婚してくれた、ありがたいなとか。やらなくてよかった」と反省し、「自分が弱かった、未熟だったなと思う。もしこの反省を次に生かせることがあったら、成長した自分がいたらいいかな」と話した。
離婚・葉山エレーヌ
生年月日: 1982年7月29日 (35歳)
生まれ: フランス パリ
2012年3月には同棲報道がありました。お相手は、のちの結婚相手ともなる高身長イケメンの一般男性です。
身長180cm超の、向井理似のイケメンです。番組取材で知り合った、IT企業の方だそうです。
夫とされる石田忠司さん。
現在は、ROLLCAKE株式会社の代表取締役を務めています。
東大卒で、以前クックパッドに勤めていたことも。
報道から間もない2012年4月には、この同棲を報じられた石田忠司さんとの結婚を、担当していた情報番組「スッキリ」内で発表しています。
葉山「つき合い始めた時から、お互いに真剣に結婚を考えていまして、荒いところばっかりの私をしっかりと支えてくれるちゃんとした男性で、どうしたら心が豊かでいられるかを教えてくれた、ホントに立派な大事な方です。これを機に、1人の大人として、ますます仕事に精進していこうと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします」
また結婚にあたり、結婚前の本名を芸名にして仕事を続けることも多い芸能界で、わざわざ「石田エレーヌ」と改めたことで、旦那さんへの惚れ具合も伺えました。
その後、2013年2月には男児を出産しています。
2014年4月に離婚発表
子供も生まれて幸せそうな葉山エレーヌさんでしたが、スピード結婚から約2年後の2014年4月に離婚しています。
実は、離婚の話は前から出ていたんです。旦那さんの給料はエレーヌさんより大分少なく、彼女は“マンションのローンの名義も私なのよ!”“子供も生まれたし、このままじゃ生活できない!”とよく漏らしていました。
また上記内容のネット記事を旦那さんが読んだことで、夫婦仲に決定的な亀裂が入ってしまったとも言われています。
Aさんは重度のネット中毒でニュースをくまなくチェックしているタイプのため、当然ながらネット配信されたこの記事を発見。本人や周囲に確認したところ、事実だということも分かった。このエレーヌの言葉は、いわば『夫名義じゃローンも組めない』と言っているも同然です。かねてからエレーヌが夫の稼ぎの少なさを周囲に吹聴していたことも災いした。男のプライドだけでなく仕事上の信用にもかかわってきますから、Aさんは怒り心頭。これをきっかけに夫婦仲が修復不可能になってしまった。
2011年の音楽プロデューサーJINさんとの熱愛報道に始まり、2012年4月に結婚発表までに、少なくとも4人の男性との交際をウワサされた葉山エレーヌさん。
『どんな相手でも2か月と続かないの』と周囲に漏らすほど、熱しやすく冷めやすいタイプ
とも評される彼女の結婚は2ヶ月以上続きましたが、スピード離婚とも言える約2年で終止符が打たれました。
結局2年もせずに、石田エレーヌにわざわざ変えた名前を葉山エレーヌに戻し、再出発とすることになりました。
離婚・脊山麻理子
生年月日: 1980年4月8日 (37歳)
生まれ: 日本 東京都 東京 文京区
脊山麻理子さんは、2009年12月に結婚しましたが、2015年7月に離婚しています。
脊山は日本テレビに在籍した2009年12月に、慶應義塾大学時代の先輩にあたる商社マンと結婚。
フリーアナウンサーでタレントの脊山麻理子(35)が3日、所属事務所を通じて7月中旬に都内区役所に離婚届を提出していたことを報告した。脊山は09年に会社員男性と結婚したものの、3年ほど前から離婚について話し合っていたという。2人の間に子どもはいない。
なお2009年7月に痴漢被害にあった脊山麻理子さんと一緒にいた交際中の男性が、元旦那さんだと言われています。JR新橋駅の構内で背後から体を触られるなど痴漢被害を受け、その痴漢を取り押さえ110番通報をしたのが、交際中の先輩商社マンだったという。
15年9月に離婚した脊山麻理子さんですが、話し合い自体は3年も前から行っていたといいます。離婚成立までに時間がかかった理由には、元旦那が話し合いに応じなかったとも言われますが、最も影響したのは2013年に週刊誌で報じられたW不倫疑惑だと見られています。
まず2013年12月には、すれ違いで離婚危機だという報道がありました。
関係者によると、原因は生活のすれ違い。フリー転身後はアナウンサー業だけでなく写真家としても活動。昨年7月には高校生以来となる「週刊プレイボーイ」のグラビアを飾るなど仕事の幅を広げてきたが、夫婦間に溝ができたようだ。
一方で、脊山アナが妻子ある男性とW不倫し、相手側に示談金を払ったという話も浮上している。ただ、脊山を知る関係者は「離婚は不倫が原因ではなく、もともと夫婦間が冷め切っていたそうです」と話している。
W不倫報道では、脊山麻理子さんが不倫相手の奥様に慰謝料100万を支払ったとされています。
当時の女性誌報道によると、夫婦仲が冷めきっていた脊山は既婚男性と親密な関係になっていた。だが、メッセージや自撮り写真のやり取りをしていたことから相手男性の妻にバレてしまい、慰謝料を請求される騒動になった。この事態に脊山は「お宅のダンナに誘われたんで」と責任逃れしたといわれ、妻の怒りに油を注いだことで激しいバトルに発展。結局は双方の弁護士を通じて和解交渉が進められ、脊山が100万円を支払うことになったとされている。
2~3年は離婚協議に費やしていたようですね。いろいろと気力も削がれそうです。
そんな脊山麻理子さんですが、離婚直後の2015年9月にはすでに再婚について語ることも。
「自分も家族が欲しいなという気持ちはずっとある」と再婚にも意欲を示し、理想の相手については「私がネコ好きなので、ネコが好きな人」と挙げ、家柄や収入を気にするかという質問には「高収入の方と結婚しても一生いられるかどうか分からない。頼れるのは自分の仕事」と話した。
「高収入の方と結婚しても一生いられるかどうか分からない。」というのは、商社マンの元旦那のことのようにも感じてしまいますね。
離婚・森麻季
生年月日: 1981年2月19日 (37歳)
生まれ: 日本 埼玉県 川口市
巨人の澤村拓一選手と2011年10月17日に結婚
澤村選手が大学4年生の時に森アナが取材したことで知り合ったという2人。
森アナは結婚を機に日テレを退社しましたが、結婚生活はたった15ヶ月で終止符が打たれています。
森アナは同番組に元日テレの馬場典子アナ、宮崎宣子アナとともに出演。11年に澤村との結婚を機に寿退社したものの、13年に離婚していたが、離婚当時の心境を「離婚から半年間、どうやって毎日生きていたのか、覚えていない。本当に覚えていなくて。別れるという選択をして、二人で決めたことだし、それは自分が望んだことなんですけど」と振り返った。
離婚理由は明かしていなかったため、憶測が飛び交っており澤村選手のDVが原因ではという説や、お互いの不倫が原因ではという報道もありました。
さらにつらいことは続き、「当時、離婚したときに、週刊誌にいろんな文字が踊って。(離婚の)理由も発表してないし、みんな臆測じゃないですか。電車に乗ったときに自分の名前が見出しになっていて。“ダブル不倫”みたいな感じで踊って。私、前の彼……ご存知だと思うんですけど(注・日本テレビの同期、上重聡アナ・36)。前の彼に連絡してたってなってたんですけど、連絡先も知らないし、意味が分からなくって」と、追い打ちをかけるようにゴシップが襲いかかった過去を告白。「すごく世間を歩くのが、怖くなった瞬間がありましたね」と世の中に恐怖を感じていたことを振り返った。
森麻季アナの元カレと噂された上重聡アナ
本人も認めているように、澤村選手と交際前に7年ほど交際していたと言われています。
結婚している時に上重アナと密会していると週刊誌に書かれ、当時澤村選手と女子大生の不倫もスクープされていたため、離婚理由はダブル不倫と報じられてしまったそう。
実際は森アナは上重アナの連絡先も知らなかったと明かしています。
現在は同じ森姓の会社経営者の男性と2017年2月に再婚。2018年4月末に第一子を出産予定。
今度は幸せをつかめるといいですね!
離婚・佐藤良子
生年月日: 1980年3月29日 (37歳)
生まれ: 徳山市
2007年9月に結婚したが、2012年9月に離婚、結婚生活は4年で破綻
「佐藤アナは、日テレの11歳歳上の報道局員と社内結婚していたのですが、今年の初めに離婚したようなんです。だけど局の意向もあって、公にしていないらしい。彼女の担当はすべて主婦向けの番組で、主婦目線のコメントをしなければならない。だから“バツイチ独身”となると都合が悪いんです」(営業系社員)
2012年9月に離婚が報じられる
スポーツ報知(2012/9/24)によると、日本テレビの佐藤良子アナウンサー(32)が離婚していたことが明らかになった。
(2012年9月)4日発売の週刊ポストは、同局社員の話として、今年の初めごろに離婚したと紹介。同局総合広報部は「プライベートなことなのでお答えできません」としたが、関係者は「離婚したことは事実」と認めた。
佐藤アナは2002年入社。07年9月に同局勤務の報道局員と結婚したが、4年あまりで結婚生活にピリオドを打った。
僅か数ヶ月でスピード再婚
日本テレビの佐藤良子アナウンサー(32)が結婚することが22日、分かった。相手は一般男性で、近く婚姻届を提出する。現在は、生放送の情報番組「PON!」(月~金曜午前10時25分)の司会を務めており、気さくな人柄と、明るい番組進行で、周囲からの信頼も厚く、同局の「午前の顔」となっている。07年に結婚した同局の報道局員と既に離婚しており、スピード再婚となる。
自殺・山本真純
生年月日: 1976年6月11日
生まれ: 日本 東京都 東京 杉並区
死亡: 2010年7月27日
2010年に7月に日本テレビの山本真純アナが、産後うつでが原因で、仙台市青葉区広瀬町の32階建て高層マンションから身を投げてお亡くなりになりました。
2009年にマリンスポーツインストラクターの男性と趣味のスクーバーダイビングを通じて知り合い、結婚。
2010年に産休・育休に入った。
・同年の2月に第一子を出産。
ここまで見ると、とても幸せな状況に見えるのですが。
真相は?
2010年2月の出産後、4月に山本真純アナは産後うつの診断を受けて、治療をうけていた。
同年の7月に祖父に出産した長男を合わせるために、祖父の住む宮城県仙台市青葉区内のマンションを訪れた山本真純アナ。
しかし、山本真純アナは祖父の住むマンションから自ら身を投げて亡くなった。
携帯電話に「私を愛して下さったすべてのみなさま。ありがとうございました」という、は山本真純アナの遺書が残されていたそうです。
発作的でありながら、計画的ですよね。
山本真純アナは元々は、とても明るい性格だそうですが、子供を出産して2か月後の4月くらいに、周囲の人々に
「すべてにおいて自信がない」
と語っていたそうです。
「(育児を)すべて自分でやれているのに、(自分だけが)やれていない(と感じる)絶望感」があり「子どものこと、夫のこと、将来のことへの不安が積み重なっていた」と、山本真純アナの兄は語ったそうです。
産後うつとは?
一般的に育児が原因のうつは、2児目の出産でかかりやすい。
最初の出産の時よりも、完璧な育児を求めて、初産の失敗を繰り返したくないという思いこみにとらわれてしまい、うつに陥るとのこと。
自殺・米森麻美
生年月日: 1967年3月18日
生まれ: 日本 愛知県 名古屋市
第一子出産の約3週間後に急逝。
海外に赴任中の夫が連絡が取れない事を不審に思い家族に様子を見に行ってもらったところ変わり果てた姿を発見した。身内だけで葬儀・告別式が営まれた。死因などの詳細に関しては家族の意向で公表されていない。
日本テレビに連絡なし
日本テレビに伝えられたのは葬儀・告別式が終わったあとであった。
DORAのメンバーとして一緒にスポットライトを浴びた永井、藪本にも死去の知らせは届かなかったという。
ICU高、上智大で知り合った友人らも急死の事実を知らされておらず、高校から約20年もの親交があるクラスメートの一人は何度も「信じられない」と繰り返していた。
緘口令
訃報が伝えられた9月18日を境に、「米森さんの件について詳しいことをお知りの方は決して外部には話を漏らさないで下さい」
上層部から厳重な緘口令が様々な番組会議で、日テレ内部関係者及び外部関係者の全てに通達されたという。
放送と全く関係ないところで「しゃべるな」という厳重な緘口令の通達はまさに異例のことだった。
噂
まず一つ目は育児ノイロ―ゼによる自殺。関係者によると、日テレ局員に対しては「育児ノイロ―ゼによる自殺」という説明がなされているというのだ。当時、日本テレビは視聴率三冠王を逃した時期であり、元局アナの自殺というある種のスキャンダルが浮上すれば、バッシングは避けられない状況にあった。だからこそ自殺は極秘とされたのではないか?という。
そしてもう一つが〝ある病〟による死亡。大学在学中に海外留学していた彼女は留学先で〝ある病〟に感染。そして01年に発病し死へと至ったのではないか?という。
自殺・大杉君枝
生年月日: 1963年7月4日
生まれ: 日本 東京都 東京 杉並区
死亡: 2007年2月2日
京都渋谷区の自宅マンションから、2月2日、早朝、飛び降り自殺した日本テレビのアナウンサー、大杉君枝さん(43)(旧姓:鈴木さん)が発見された。
2006年10月に、高齢出産で、待望の男児に恵まれ、喜びに包まれたのもつかの間、出産後から原因不明の難病である「線維筋痛症」を発症、耐え難い全身の疼痛に悩まされ続けての自殺だという。
だれからも好かれていた大杉君枝アナウンサー。
ベランダの柵を、乗り越え、飛び降り自殺したとみられ、大杉君枝アナウンサーは、病院に運ばれたが死亡した。部屋から遺書のようなものが見つかったという。
女子アナウンサーのエースとして、
「ズームイン!!朝!」
「ザ・情報ツウ」
「家元ショー・ダダダダッ!談志ダッ!!」
「所さんの目がテン!」
など報道番組からバラエティー番組まで幅広く仕事をこなした。
2002年、10歳年下の電通勤務の男性と再婚。
2006年10月に第1子となる男の子を出産してからは、アナウンス室のデスク業務やナレーションの仕事を主に担当していた。
ところが、出産後から、原因不明の線維筋痛症を患っていた。
線維筋痛症は、全身のこわばり感や倦怠感が襲い、睡眠障害、抑うつなどの症状もある。
治療法は確立されておらず、痛み止めなどの対症療法しかない。
また、普通の医師は判別できないケースもあり「仕事仲間や得意先から、“怠け病”のレッテルを貼られ、精神的にも追いつめられる患者が多い」と医師は指摘する。
都内の病院に勤務するベテラン婦人科医師も、「普通でも高齢出産後は、体力がなかなか追いつかず育児ノイローゼになりやすい」「そのうえ、線維筋痛症と闘病していたのであれば、育児は相当厳しかったはず」と語る。
タレント・みのもんたさん(62)も、大杉君枝アナウンサーの悲報に悲しみを、あらわにしている。
2月3日、立教大学の放送サークルの先輩で、番組でも共演していたみのもんたさんが、悲痛な思いを語った。
「なんでなんだよ…」「本当に貴重なアナウンサーでした」とあまりにも早すぎる旅立ちを悔やんだ。
「みのもんたのサタデーずばッと」出演のため、TBS入りして、悲報を聞き、
「信じられないよ」「なんでなの?」と声を詰まらせた。
日本テレビのバラエティー番組「みのもんたの世渡りジョーズ」(1992~1994年)でタッグを組み、その後も同局の特番などで共演していた。
スポニチの取材にも、「とにかく明るい人だった」「お子さんにも恵まれて、これから幸せになるという矢先に、なんで…」と、しばし絶句した。
みのもんたさんは、「大変な病気で苦しんでいたと聞いたけど、1人で悩んでいたの?何があったの?」と後輩に語りかけるように、「なぜ」を繰り返した。