あなたは「マメ山田」を知ってますか?時折映画で見かける114cmの体で独特の雰囲気を醸し出す男。どこか哀愁を漂わせ、奇々怪々な役どころのイメージが強いです。ひと目見ただけで妖怪のような風貌の彼に強い興味をいだいた方もいるでしょう。しかし、実は彼の本業は俳優ではなく、マジシャンなのです。しかも「日本一小さな手品師」として知られています。まさに豆粒のようで、どこか不気味な「マメ山田」について少しだけマメに紹介していきます。
兵庫県で生まれ、コメディアンを目指し芸能界へ!
写真:hccweb5.bai.ne.jp
「日本一小さな手品師」こと「マメ山田」は1946年7月28日、兵庫県で生まれました。
生まれつき体が小さかったマメ山田は、その個性を活かし15歳で大阪の「ルーキー爆笑劇団」へ親の反対を押し切って入団します。
写真:敵はもっと遠くにいるのだから
「ルーキー爆笑劇団」とは香川県出身のお笑い芸人「ルーキー新一」が1961年に旗揚げした喜劇劇団でした。
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ルーキー新一はお笑いトリオ「レッツゴー三匹」のレッツゴー正児の実兄で、
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デビュー当初は弟の正児と漫才をしていましたが、吉本興業に引き抜かれて「ルーキー新一・清二」のコンビで人気を博し、吉本新喜劇の座長にも抜擢された伝説のお笑い芸人です。「ルーキー爆笑劇団」はルーキー新一が吉本興業を独立して旗揚げしたものです。
マメ山田は旗揚げ当時に新聞広告に出ていた「劇団員募集」を見て応募し入団。これがマメ山田の芸能界デビューでした。
「ルーキー爆笑劇団」は主に大阪千日前劇場を拠点に活動していましたが
写真:Goo ブログ
ルーキー新一は金銭問題等で離脱、劇団自体の人気も翳りが見え始めました。そして、マメ山田も劇団を退団します。
写真:敵はもっと遠くにいるのだから
さらにコメディアンの道を極めるため、1967年OSミュージックの専属コメディアンになります。
写真:ヤフオク!
「OSミュージック」の「OS」とは「大阪ストリップ」の略です。つまり、マメ山田はストリップ劇場専属のコメディアンとして活動の幅を広げていったのでした。
マジシャンとしての道、そして個性派俳優として
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OSミュージックの専属コメディアンとして経験を積み、東京の日劇ミュージックホールなどでも活躍していたのですが、当時観客としてみていたのが手品師・木村ヨシユキ氏でした。
「君にはできないことが多いと思う、だけど君にしかできないこともあると思う」声をかけられ、1972年に弟子入りします。ここから本格的にマジシャンへの道へ進む事になります。
その後1982年から俳優の仕事もはじめ、帝国劇場「ロミオとジュリエット」
写真:偏愛カタログ
1989年には演出家・蜷川幸雄氏の舞台「唐版 滝の白糸」に出演。
写真:Bunkamura
当時蜷川氏は劇中に登場する小人プロレスの役者を探していて、114cmのマメ山田を見ての大抜擢だったのです。その後、蜷川氏の舞台の常連になります。
それから小人の役が続き舞台「オズの魔法使い」にも出演。
写真:ameblo
また、その個性は舞台だけでは収まりきれず映像の世界からも声がかかり、
松田龍平主演の映画「青い春」や「ナイン・ソウルズ」などに出演し、
写真:Naverまとめ
写真:映画.com
安室奈美恵やゆずなどのミュージシャンのプロモーションビデオにも出演し、話題を集めます。
2009年には靖国神社の「みたま祭り」での見世物小屋「見世物地獄」に出演して手品を披露するなど、マジシャンとしても活動し続けています。
写真:ライブドアブログ
最近では蜷川実花監督の映画
写真:フォト蔵
「ヘルタースケルター」にも出演しました。
まとめ
写真:OTOTOY
114cmの小さな体を活かし、コメディアンからマジシャン、そして俳優へと昭和の芸能界から現在へと様々なジャンルで活躍し続けているマメ山田。古希を迎えても走りつづけるバイタリティは凄いですね。テレビへの露出はあまりありませんが、舞台やスクリーンまた、DVD等でその姿を見ることができます。もしかしたら、また新しいジャンルにも挑戦するかもしれないですね。「日本一小さな手品師」のこれからの活躍に色んな意味で期待大ですね。