ゴールデンボンバーを知っている方は多いのではないでしょうか。代表曲の「女々しくて」はオリコンに驚異の84回も登場しています。今でもカラオケでは盛り上がる曲として大人気で、作詞作曲をしたボーカルの鬼龍院翔さんは印税だけで暮らしていけるらしいです。そんなゴールデンボンバーですが、実は鬼龍院翔さんは元々は芸人をやっていたということを知っていますか?ここでは、今ではハンドで活躍する鬼龍院翔さんの過去について掘り下げてみたいと思います。
ゴールデンボンバーの歴史
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鬼龍院翔さんの過去について掘り下げる前に、まずはゴールデンボンバーの歴史について紹介しようと思います。現在はエアーバンドとして大人気のゴールデンボンバーですが、デビュー当初は多くの方が困惑したのではないでしょうか。
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バンドなのに実際は演奏していないというエアーバンドというジャンルは、当時全く知られていなかったためゴールデンボンバーはエアーバンドの先駆者と言っても過言ではないでしょう。そんなゴールデンボンバーですが、実は結成当初はしっかりと演奏するバンドだったようです。
ゴールデンボンバーの始まりはボーカルの鬼龍院翔さんと
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ギターの喜矢武豊さんが高校生の頃に「ニャーん」というバンドを結成したことです。
このバンドは結成してすぐに活動を止めてしまうのですが、その後鬼龍院さんと喜矢武さんともう1人で「ゴールデンボンバー」を結成します。
もう1人のメンバーは音楽性の違いで脱退してしまうのですが、その後も何度かのメンバー変更はあるものの鬼龍院さんと喜矢武さんの2人を中心に活動していきます。
その過程で元々はパンクバンドだったものをヴィジュアルバンドにしています。
また喜矢武さんがギターが下手ということでエアーバンドに変更することにしたそうです。
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後に現在のメンバーとなる歌広場淳さんと樽美酒研二さんが加入し、今のゴールデンボンバーが出来上がりました。
元々は芸人だった!?鬼龍院翔さんについて
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カラオケで盛り上がる曲として大人気の「女々しくて」を歌うゴールデンボンバーの鬼龍院翔さんですが、実はゴールデンボンバーとして活躍する前は芸人をやっていました。ゴールデンボンバーのライブの雰囲気を知っている方は、鬼龍院さんが元々は芸人だと聞いても納得できるのではないでしょうか。
しかしゴールデンボンバーの曲を聴いたことがある方は分かると思いますが、鬼龍院翔さんは歌唱力がとても高いです。
そのため、元々は芸人だと知らない方も多いと思います。
鬼龍院翔さんは高校でもバンド活動を行っていたのですが、
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高校卒業後は東京NSCという吉本のお笑い養成所に入ります。
鬼龍院さんは東京NSC9期生なのですが、
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なんと同期には今やテレビで引っ張りだこのハリセンボンさんなどもいます。
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そこで池田一真さんという方と「チョコサラミ」というコンビを結成します。
池田一真さんと聞いてもピンとこない方も多いと思います。
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実はこの方はお笑いコンビの「しずる」の池田さんなんです。
鬼龍院翔さんがしずるの池田さんとコンビを組んでいたと聞くとなんだか不思議な感じがしますね。
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しかしこの2人は相性がとても悪かったらしく、コンビを結成したもののすぐに解散してしまったようです。
鬼龍院さん自身は芸人時代のことについてあまり語りたくないらしく、池田さんについても「関わりたくないです。」と言っています。
まとめ
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紅白歌合戦にも出場するなどアーティストとして大成功と言えるゴールデンボンバーですが、ヒットするまでにはさまざまな歴史があることが分かりました。エアーバンドとして人気を集めたゴールデンボンバーですが元々は普通のバンドであったり、ボーカルの鬼龍院翔さんについては芸人をやっていたなど、初めて知って驚いた方も多いと思います。そんな変わった経歴を持つゴールデンボンバーは、最近では個々での活動も目立っています。今後は音楽以外の活動も期待できそうです。