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槙野智章選手といえば浦和レッズでプレイしているディフェンダーですが、その知名度の割に実力について語られる機会が少なく、有名人とのデートが週刊誌によって明らかになったりピッチ上での大げさなほどのアクションが話題にのぼることが多いのです。
浦和レッズではファンに認められていればそれで問題はありませんが、浦和レッズファン以外のサポーターは本当に日本代表に選ばれるほどの選手なのか疑問視しているのが実情なのです。
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◼︎日本代表メンバーになるまでのキャリア
槙野智章選手は広島県広島市の出身で、中学生の頃から地元チームであるサンフレッチェ広島の下部組織でプレーしてきました。高校卒業後にトップチームに昇格すると徐々に出場機会を増やし、2年目からはレギュラーに定着しています。この頃のサンフレッチェ広島は3バックの特殊なフォーメーションで試合に臨んでいて、ディフェンダーには守備力だけではなく攻撃力も求められましたが槙野智章選手は上手くフィットしたのです。
この頃から年代別代表に選ばれていて、試合で自チームがゴールしたときや勝利したときには様々なパフォーマンスを行ってきました。明るい雰囲気のチームだったため調子乗り世代とも呼ばれましたが、一部では代表としての気品と真面目さに欠けるとして不評を買っていたことも事実です。
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そして2009年には初めてフル代表に招集されました。しかし出場機会は与えられず、日本代表として試合に出るのは翌年まで待つことを余儀なくされます。2010年には日本代表デビューも果たしドイツへの移籍が決まるなど順風満帆なサッカー選手生活を送ると思われましたがドイツでは1年間でわずか8試合の出場に終わり、浦和レッズへの移籍を決断します。
浦和レッズではチームをJリーグ優勝に導くだけではなくアジアチャンピオンズリーグでも優勝し守備のキーマンとして活躍しています。
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◼︎日本代表の試合における評価
海外移籍を経験しJリーグでも優勝するなどトップクラスの成績を残しているにもかかわらず槙野智章選手の実力が疑問視されているのは、派手なパフォーマンスやメディアへの出演ばかりが注目されているからです。加えて、日本代表に招集された当初は控え選手という立ち位置だったことと本来のセンターバックではなく右サイドバックとして起用されていたために試合で自分の実力を発揮しきれなかったことも影響しています。
しかし、2017年になって槙野智章選手の立場は大きく変わりました。不動のセンターバックだった選手が怪我をしたことで槙野選手がセンターバックとして出場する機会を得て、ブラジル代表やベルギー代表という世界トップクラスの相手とも戦える実力があることを証明したのです。特にデュエルと呼ばれている1対1での勝負では強さを見せ、一人でボールを奪い取ることもありました。
また、元来の性格が非常に明るい槙野選手はチームのムードメーカーとしても大いに評価されています。一試合のみの親善試合ならともかくワールドカップなどの大会では一ヶ月以上にわたって練習と試合だけの日々を過ごすため雰囲気が暗くなってしまいがちです。そんなとき槙野選手のような明るいキャラクターがいると場が和んでほかのメンバーもリラックスできるのです。
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◼︎まとめ
槙野智章選手はそのキャラクター故に誤解を受けやすいタイプですが、サッカー選手として十分に日本代表でプレーできる実力を持っています。これまではメンバーの巡り合わせが悪く代表戦では実力を発揮し切れていませんでしたが、センターバックとして起用されれば世界でも通用します。
さらに、ワールドカップでは明るい性格の槙野選手がムードメーカーとしての役割を担うことも十分に考えられ、メンバー入りの可能性は高いと言えます。