日韓ワールドカップで重要なゲームを裁いたバイロン・モレノ氏には、複数の八百長疑惑が巻き起こりました。世間からの強烈なバッシングを浴びたモレノ氏は、やがて国際サッカー連盟の国際審判員から除外され、表舞台から姿を消しました。
様々な話題を呼んだ日韓ワールドカップから十数年が経過しましたが、八百長疑惑を起こしたバイロン・モレノ氏は現在どのような生活を送っているのでしょうか。その驚愕の私生活と動向に迫ります。
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◼︎日韓ワールドカップでバイロン・モレノに何が起きた?
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バイロン・モレノ氏はエクアドル出身の元サッカー審判員で、2002年に開催された日韓ワールドカップで笛を吹きました。問題が起きたのは韓国対イタリア戦で、明らかに韓国の肩を持つようなジャッジを連発したことがことの始まりでした。
本来なら退場には値しない選手にレッドカードを提示したり、イタリアが決めたゴールをオフサイドと判定し無効としました。これらのジャッジは後に国際サッカー連盟公認のDVDにて「世紀の大誤審」に選定されており、またローマの検察も八百長疑惑として捜査を開始するなど波紋を広げました。
日韓ワールドカップ後も本国での試合で片方のチームが得点をするまでロスタイムを取り続けるなど不自然なジャッジを続け、2002年9月にエクアドルサッカー連盟によりモレノ氏を20試合の資格停止処分に下すことが発表されました。
一旦は復帰したものの、再び八百長疑惑を巻き起こしたモレノ氏には1試合の資格停止処分が科されます。この処分を受けて、モレノ氏は33歳の若さでサッカー審判員の引退を余儀なくされました。
表舞台から姿を消したモレノ氏が再び話題に取り沙汰されたのは、引退騒ぎから8年が経過した2010年のことでした。驚くことに、モレノ氏はアメリカにてヘロインの大量所持の容疑で逮捕されたのです。
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◼︎八百長疑惑に揺れたバイロン・モレノは逮捕されていた
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エクアドルサッカー連盟から処分を受けたモレノ氏は、それを不服としてサッカー審判員からの引退を表明しました。当時、モレノ氏はインタビューにおいて「自分への評価が正当ではないため引退を決めた」と語り、また「座して死を待つくらいなら、戦に出て死んだ方がまし」と意味深な言葉を言い残して去っていきました。
引退してからは審判員養成学校を設立して後進の指導を行っていたという話もありましたが、確かな動向は伝えられていませんでした。そして2010年の9月、アメリカのニューヨークにある国際空港にて、ヘロインを大量に所持していた容疑で逮捕されたのです。
懲役30ヶ月の判決が出されましたが、模範囚として減刑され、約2年後の2012年12月に出処しています。刑期が短縮されたモレノ氏は、母国エクアドルへ送還されました。この時のモレノ氏の年齢は43歳でした。
アメリカからエクアドルへ送還された後のモレノ氏の動向は一切伝えられていません。隠居生活を続けているとの噂もありますが、表舞台からは完全に姿をくらませてしまったようです。
当初は日韓ワールドカップでの八百長疑惑の処分を受けるべきだとの世論が渦巻いていましたが、結局国際サッカー連盟から明確な処罰が下ることなく、それよりも重い逮捕という幕切れとなってしまいました。
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◼︎まとめ
日韓ワールドカップで数々の八百長疑惑を起こしたバイロン・モレノ氏は、エクアドルでも同様の疑惑を巻き起こし、サッカー審判員の資格停止処分を受けることとなりました。これを不服とし、33歳で引退を決めたモレノ氏は、その8年後にアメリでヘロインの密輸により逮捕される結果となりました。
日韓ワールドカップで痛い目を見たサッカーファンの多くは未だに彼を許していません。恐らく今後も表舞台に姿を現すことはないのではないでしょうか。