リリー・フランキーさんが5月30日、TOKYO FMの番組「リリー・フランキー『スナック ラジオ』」で「テラスハウス」に出演していた女子プロレスラーの木村花さんが亡くなったことを受けて、リリー・フランキーさんがネット上の誹謗中傷と「表現の自由」について思いを語りました。
リリー・フランキーさんが”スナックの店主”をつとめる、同番組。ときに香ばしく、ときに甘酸っぱく、ときにほろ苦く…そんな、スナックにぴったりなトークを土曜日の夕方に繰り広げます。
「ちょうど(リリー・フランキーの付き人で「テラスハウス」に出演していた)トパス(・ジョンキンバルー)のお友達が最近亡くなって、すごく落ちているんですよ。トパスと一緒に「テラスハウス」に出ていた、女子プロレスラーの木村花さん。本当の原因は誰にもわからないですけど、ネットの誹謗中傷みたいなことがあって。
ぼんやりそのニュースを観ていて、すごく考えていることがあって。国としてもちゃんとネット内の秩序を整えるような法案を作らなきゃいけない、みたいな動きもあるなかで、法律家が「表現の自由」という言葉を口にするじゃないですか。例えばネットに何を書いても、基本的に相手を脅迫するとか、そういうのじゃなければいいわけでしょ? 法律的にはね。「表現の自由」ですから。だから相手が傷つくことでも、「自分の表現の自由だ」っていう志をもってすれば、それは法律としては、この国は認めているという。
でも、「表現の自由」と言うからには、本来ならばあなたが誰なのかわからなきゃ。」
「「表現の自由」だから、好きなことを書き込みました。法律の現場で「表現の自由」を闘うのであれば、あなたの書き込みが“表現に値する行為”をしているのか、ということで闘う自信があるのか? っていうことなんですよね。だから、そこで騒いだ連中も、結局は「ごめんなさい」って。“表現に値する”と思っていないということだから。
だから、結局あとでコソコソ名前を隠したりとか、(書き込みを)消したりしているのだったら、最初から表現だなんてことは、自分ですら思っていないわけです。もしそのことに自由があると思って、(ネットでの誹謗中傷を)やっている人がいるのだとしたら、裁判になったときに、“表現に値する行為” だと闘える自信があるんだったら、「どうぞおやりなさい」ということじゃないですか?
自分のフラストレーションや人の悪口が表現になるような時代は、どう法律がねじ曲がったって一生来ないですよ。トパスは自分の身近な人が亡くなる経験が、本当にまだほとんどない年齢ですからね。彼もいろいろなことを考えたりすると思いますけど。」
「僕はTOKYO MOOD PUNKSというバンドをやっていまして。前に出した曲で「ジェイミー」っていう曲がありまして。周りにとにかく死にたがる人がいて、何を言ってあげていいかわからないから曲を作ったんです。災害で人が亡くなることは、本当に止めようがないけど、自分で自分の命を閉じようとする人には、何かできるんじゃないかって思ったんです。
この曲を作ったとき、日本で年間3万人が自殺していたんです。それって災害で亡くなる人よりも圧倒的に多い人数だと思う。だとしたら、そういう人達の声に耳を傾けることとか、そのあとに自分を無力だと思ってしまうことは多々あるけども…この曲を作りました。」
リリー・フランキーさんの言葉に、ネット上ではこのようなコメントが上がっています。
・言葉って使い方ひとつで相手を傷付けることも、勇気付けることも出来る。自分も書き込みに対して叩かれたことあるけど、勇気付けられた言葉はスクショして取ってあるんだよね(笑)それくらい良くも悪くも言葉って大きな力を帯びている。
・ま、いくら正論的な事を言ってみた所で、自分も含め匿名の中に隠れているんだけどね。よく思うのは、匿名での発言も無価値とまでは言わないが、名前を出している発言に比べれば重みや説得力はかなり減るという事。そこは常に意識しておかないと。
・「表現の自由」という言葉は、表現することを権力から抑圧されないということを保証するものであって、何を表現しても良いという事では無いですからね。