金メダル2連覇達成という素晴らしい功績を残しながら、墜落の一途をたどった内柴正人。金メダリストが強姦犯に成り下がった経緯とは?服役中の獄中での心境は?内柴正人は今。
内柴正人の経歴
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内柴正人は熊本県出身の元柔道家・九州看護福祉大学客員教授。国士館大学体育学部卒業後、旭化成に入社。2004年アテネオリンピック、2008年北京オリンピック共に66キロ級で金メダルを獲得。2009年ごろから指導者に転向し、後輩の育成に努めるようになる。2010年に旭化成を退職すると、九州看護福祉大学の客員教授に就任。2011年11月8日に内柴正人のセクハラ(準強姦)スキャンダルがマスメディアで報道され、11月29日大学側は一連の調査結果から、問題のセクハラ行為が行われたとして、内柴を懲戒解雇処分にする。2013年2月1日内柴は東京地裁から懲役5年の実刑判決を言い渡され、これを受けて日本柔道連盟は、同年2月5日内柴正人を連盟から永久追放する決定を公表した。
内柴事件
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この強姦事件は2011年9月に起こります。当時九州看護福祉大学の柔道部を指導していた内柴は、女子柔道部の合宿で東京都八王子氏のホテルに宿泊します。部員はわずか4人と男性のコーチ連。9月19日から20日の未明にかけて、飲食店やカラオケボックスで当時19歳だったAさんに関係者らと酒を飲まし、Aさんに意識のない状態で部屋に連れ帰り、性行為をおこなったという事件です。
刑事裁判の経緯
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2012年9月12日第一審の東京地裁の公判で内柴正人は「合意の上で行為」と無罪を主張します。しかし公判の経過の中であげられる冒頭陳述では、事件直前に内柴の主導によって、「イッキ飲みルール」で、致死量のアルコールを摂取させられていたことや、無理やり口をふさいで「犯されたんじゃないよな」と口止めを強要されたり、同僚のコーチらにも「嘘でもなんでもかばってほしかった」などの、隠ぺい工作を強要するようなメールを送信していたこと、大学の師範室に隠されていたアダルトグッズや避妊用具の処分を、他の男性コーチにさせるなどしています。たびたび生徒との性行為に及んでいたこと等が指摘され、検察側は指導者としての品位もない卑劣極まりない犯行として、執行猶予なしの実刑、懲役5年を言い渡したのです。
獄中の内柴正人は
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公判中も内柴は合意のもとで性行為をおこなったと主張を続けましたが、最高裁は上告を棄却し、実刑5年の判決を言い渡します。内柴は、5年間静岡刑務所で受刑者として獄中生活を強いられることとなるのでした。獄中の内柴は?というと、2014年に獄中から送ってきた手紙の内容に世間が驚愕したと言います。そこには自信が性犯罪で実刑を受けたにも関わらず、「たまにエロ本の差し入れがあるんだけど、DVDツキがメインなんだよね。今回60点ていうと、今度は100点目指しますって」や「出所したら、今まで表に出なかった柔道界のいじめや虐待や、不祥事を暴露本にでもして出版するな」などと、反省の色が見られない発言や態度が目に余る手紙を送っていたのです。また内柴の父の経営する事業を継ぎたいと話したり、二度と戻れない柔道界にも未練があると見えて、日本では柔道ができないから、海外に出て成功して、追放した奴らを見返してやる!といった鼻息のあらい話を、同じ受刑者仲間に漏らしていたそうです。
内柴正人の将来は?
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内柴は受刑態度がよく、どうやら満期の2017年12月より少し早い8月に仮釈放がみとめられて、出所したとみられています。出所と同時期にツイッターを再開したと見えて、その中ではまだ消えぬ柔道への熱意と、反省の言葉や感謝の言葉がつづられています。内柴は2003年に結婚して2人の子供もいましたが、拘置所に奥さんが訪ねても応答に出ることもなく、次第に不信が募っていき、2012年に離婚をしています。スキャンダル報道から以降は、奥さんの経営する鍼灸院は報道関係がつねに待ち構えていて、事業を続けていくことが困難になり、家族は今は引っ越しをしてしまっています。こうして、名誉も家族も仕事もすべてを失って、まだなおあちこちのコメントで反省の気持ちが無いことをうかがわせる内柴正人は、いったいこの将来どうやって生きていくのでしょうか?一部には格闘家としてやっていく道を示唆したスポーツ記事などもみられますが、本人の意思は如何に?ですね。
まとめ
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日本ではまだまだ軽視されている性犯罪ですが、内柴正人がいくら無罪を主張しても、相手があることですから、一度判決が下りて犯罪者となれば、なかなか世間の風は厳しくなるでしょう。一日も早く魂も思念も洗浄し、新しい人生を歩んで欲しいものです。