29日、志村けんさんが亡くなりました。享年70。死因は、新型コロナウイルス肺炎。今年はさらなる活躍が期待できるはずだったのに…。初の朝ドラ出演となる「エール」(NHK)に、初主演映画「キネマの神様」そして、東京五輪の聖火ランナー……。
志村さんの生前最後のテレビ出演となった番組が「あいつ今何してる? 過去爆笑&涙3時間SP」(テレビ朝日系)。3月10日に収録され、感染が公表された25日の夜に放送されました。
志村さんは30代前半の頃、結婚を考えたという13歳下の元恋人との過去を初告白。その女性とは、79年にアイドル歌手としてデビューし、その後、コーラスグループ「AMAZONS」で活動している大滝裕子さん。
交際中、志村さんは恋人を連れて、深夜、六本木のレコード店に行ったりしたそうで、コントに活かせそうな音楽を探すためによさそうなレコードを大量買いしていたそうです。「ヒゲダンスのテーマ」もそこで見つけられたものだったといいます。
一緒に海外のショーのビデオを観たりする機会も多かったようで、大滝さんは「すごくやっぱり、勉強していらっしゃいましたよね。(略)すごい真面目な人っていう感じです」と、振り返っていました。
実際、志村さんの芸はその才能に加え、職人的な熱心さによって支えられていたかもしれません。子供時代、教師だった父が校長を目指して勉強ばかりしていた姿をつまらなく感じていたそうですが、勉強家としての遺伝子はしっかり受け継いでいたようです。
今では日本国民なら誰もがするじゃんけんの習慣「最初はグー」。これも志村さんが生みの親。ほかにも数々のヒットギャグが誕生していきました。
数多くの女性と浮名を流した志村さんですが、周知の通り、結婚することはありませんでした。
5年前に母を亡くしたときには、
「おふくろは『孫の顔見るまでは死なない』って言ってたんですけれど、僕はこのへんが本当に下手なもんでね。それだけはちょっと残念です」と、申し訳なさそうにしていたようです。
そんな志村さんと結婚していたかもしれない大滝さんは自分との破局後も独身を貫いた元恋人について、次のように語っています…。
「若い人がすごい好きっていう、なんかあるじゃないですか、イメージというか。でも、今でもそうだったら、それでもいいじゃんって。幸せだったら、楽しかったらいいじゃないですか」
また、志村さんが独身のままでも「幸せなんじゃないかな」として、その理由に「とても人を大切にする」「それは絶対変わってないと思う」ということを挙げていました。
志村さんのまわりには老若男女を問わず、多くの人が集まっていたようで、訃報が流れた直後「スッキリ」(日本テレビ系)ではハリセンボンの近藤春菜さんが号泣しながら思い出と感謝を語っていたのが印象的でした。
そんな人望の厚さが、彼を70歳まで現役のトップ芸人でいさせたともいえるでしょう。
最近はやめたり控えたりしていたとはいえ、タバコと酒を愛していた志村さん。夜遊びも楽しんでいたようで、今回の感染経路は不明ですが、後輩芸人と飲み歩いたり、ガールズバーに出かけたりというのも、よくなかったのかもしれません…。
肺をはじめとして、弱った身体状態で、濃厚接触を繰り返せば、リスクは高まるでしょう。
しかし、タバコや酒、夜遊びと切っても切れない環境で、その笑いは作られているということもあったかもしれません。
事務所関係者からは「最後まで皆様に笑いを届けるという使命をもって頑張っていたと思います」として「思い出して笑っていただければ」という言葉が聞かれました。
志村さんはこんな暗い状況だからこそ、みんなを笑わせたいと願っていたに違いないでしょう。笑って見送ってあげることがせめてもの志村さんへの供養になるはずではないでしょうか…。