2年前に事故で下半身不随になり、車いすで活動を続ける 人気地下アイドルグループ「仮面女子」のメンバー、猪狩ともかさん。障害を抱えながらも笑顔を絶やさず、前向きな姿勢は、逆に多くの人を励ましていますが…。
就職活動中に迷って、結局 アイドルの道を…
―仮面女子は、どうして「史上最強の地下アイドル」と呼ばれるんですか?
「仮面をかぶったり、武器を持ったり、ほかのアイドルがやっていないようなパフォーマンスをしています。ホッケーの仮面は、個性を消して団体として見せる道具です」
―メンバーになって、仮面女子の魅力はどんなところだと感じていますか?
「メジャーなアイドルさんだと、ライブが終わればお客さんは帰るだけですが、地下アイドルは握手をしたり、一緒に写真を撮ったりできます。その距離の近さが、みなさんが来てくれる理由だと思います。演じる側にとっても、その日の感謝を直接言えたり、お話ししたりできることは魅力的なことです」
―子どものころからアイドル志望でしたか。
「モーニング娘。にあこがれていましたが、行動に移したのは遅かったですね。管理栄養士の専門学校に4年間通い、就職活動中に迷って、結局、アイドルの道を選びました。事務所に入ったのは2014年春でしたが、最初は研究生で、正規のメンバーになったのは17年です。本当に人それぞれで、ポンポンとすぐに上がれる子もいれば、私のように下積みが長い人もいます」
数か月で治ると思っていた…
―18年4月、活動拠点の秋葉原に向かって歩いていたとき、歩道脇の看板が強風で倒れて下敷きになりましたが 看板が倒れてくるのは見えましたか?
「視界の隅に何となく、降ってくるのが見えましたね。でも、一瞬だったので、気づいたら下敷きになっていました。その時は、痛いというより、苦しいっていう感じでした」
―意識はずっとあったそうですね?
「 私の中では、大きな事故では、その瞬間に意識が飛んで、気づいたら病院というドラマのようなイメージがありました。だから、いつ意識がなくなるんだろう、苦しいから早く意識がなくなってほしいと思っていましたが、ずっと意識がありましたね 」
―脊髄損傷で両下肢麻痺(まひ)ということですが、直後はそこまで重傷とは思わなかったそうですね。
「 数か月したら治ると思っていました 」
応援してくれる人がどんどん増えて、救いだった
―深刻な状況がわかってきたときは、どんな気持ちでしたか?
「 まず、ライブができないって思って、それが一番ショックでしたね。生活うんぬんよりも、そっちが一番に浮かびました 」
―すごく落ち込みましたか?
「 どん底まで落ちるということは、なかったです。私が事実を知る前から、家族が「車いすでも、あんなことも、こんなこともできる」って前向きな言葉をかけてくれたので。でも、私からしたら、「どうせ治るのに、どうして、そんなことばかり言うんだろう」って、ちょっと不思議に思っていました。
「歩けなくなって、死にたいって考えたんじゃないか」って思われるかもしれないですが、そこまではいきませんでした。アイドルだったおかげで、たくさんの人が応援してくれました。普通の会社員だったら家族や友人だけの応援だったと思いますが、ニュースでも取り上げてもらい、事故前からのファン以外にも応援してくれる人がどんどん増えて、それは救いだったなって思います 」
ライブ復帰 「この景色を見るためにリハビリ頑張った」
―アイドルをあきらめたこともなかった?
「 あきらめるというより、「どうやってアイドルしたらいいの?」って考えていた感じです。メンバーやファンの方が 待っていてくれたので…。」
―事故から4か月後、車いすでライブに復帰したときはどんな気持ちでしたか?
「 感動的でした。この景色を見るためにリハビリをがんばっていたんだなって思いました 」
―リハビリは今も?
「 週に1、2回は通っています。最初は、自分である程度、行動できるようになるための基本動作を学び、今はどちらかというと、その技術の維持ですね。車いすからベッドに移る時など、ヨイショって力がいるので、腕がたくましくなりますね(笑)」
―ライブはどのくらいのペースで出ていますか。
「週1回出られたらいいかな、というペースです。それでも、出るとファンの人から元気をいただけます。以前のように踊れないもどかしさはありますが、最近は、車いすでも結構動けるようになりました 」
車いす生活は 予定通りに動けないことも?
―車いす生活に不便を感じることは多いですか。
「タイムリーな話ですけど、今日は予定通りに行動できませんでした。埼玉の自宅からタクシーで都心に出る予定が、雨や雪の天気のせいでつかまらず、急きょ電車に変更しました。そのうえ、講演する会場に駅が直結という地下鉄にわざわざ遠回りして乗ったのに、そのルートには階段しかなく、いったん外で出ることになり、悲しいやら、怒りがわいてくるやら…。そんなことも、たまにあります。どこにも気持ちをぶつけようがなくて、家族に当たっちゃったりすることもあります」
―でも、いつも笑顔ですね。
「マイナスな面はあまり見せないように心がけていますが、気持ちが沈むこともあります。そんなときは発散しないといけないので、だれかと話したり、ドラマやアニメを見て、そっちに意識を持っていったりして、何とか保っています。ライブもそうですね。ステージに出るとアドレナリンが出て、ワーってなります」
けがを機に 家族の理解も深まり…
―ご家族はアイドルの仕事を応援してくれていますか?
「 兄は、私に直接は言いませんが、最初すごく反対して、父に「だいじょうぶなの? 甘やかしすぎじゃないの」って言っていたらしいです。でも、事故の後、たくさんの人が応援してくれたことで、「家族以外にも、こんなに支えてくれる人がいるなんて」っていう感じで、やっと理解してくれたみたいです。
両親は応援してくれますが、父は心のどこかで「早く管理栄養士として働かないかな」と思っていたようです。けがをした時、事務所に「ごめんなさい。娘は働けません」って言ったらしいのですが、「だいじょうぶですよ、全然。車いすでもやれることはたくさんあるので」と言われて、救われたようです。今は、私を支えてくれる事務所の姿勢に感銘して、「一生、そこで働きなよ」って言ってます(笑)。本当に、仮面女子じゃなかったら、自分はどうなっていたんだろうって思います 」
野球は西武?パラ応援大使にも就任
―地元の西武ファンだそうですね?
「 母がファンで、幼少時から球場に連れていってもらっていました。始球式を事故の前に1回、事故後にも2回、やらせてもらいました 」
―パラスポーツ・バリアフリー応援大使にも就任されていますが、どんな活動を?
「 パラスポーツの応援や宣伝をしたり、バリアフリーについて話し合う会議に参加したりしています。けがをしなかったら、こういう機会はなかったと思うので、自分の新しい道だなと思っています 」
―実際にパラスポーツも体験してみたそうですね?
「 いろいろ、やってみました。卓球、水泳、テニス、バスケ、ボッチャ、射撃、フェンシング……。水泳は12年間やっていたので、結構、泳げました。リハビリとしてもやりたいですね 」
5月に初の著書発売 9月には仮面女子ワンマンライブ
―これから、どのように活動していきたいですか?
「 元仮面女子で、渋谷区議会議員になった橋本侑樹さんが、車いすでも活動を続ける私の姿に勇気をもらって、政治家になる決意をしたという話をよくしてくれるんです。私も、ひとりで活動していても、仮面女子のプラスになることをしていきたいです。
今年5月に「100%の前向き思考 生きていたら何だってできる! 一歩ずつ前に進むための40の言葉」という本を出します。事故の後、自分が前を向いていくための言葉をまとめました。ぜひ読んでください。仮面女子としては、9月19日に「zepp haneda(ゼップ羽田)」でワンマンライブがあります。こちらもよろしくお願いします! 」