元ドロンズの大島直也が1月31日に脳梗塞で緊急搬送されていたことが今月3日に明らかになりました。
大島直也は、石本武士とドロンズを1995年に結成。
1997年には『進め!電波少年』(日本テレビ)で、猿岩石に続く「南北アメリカ大陸縦断ヒッチハイク」に挑戦。
2003年に、大島が役者を目指すことを理由にコンビ解消。その後、石本はドロンズ石本としてタレント活動、大島は俳優業の傍ら、ちりとり鍋の店「ちりとり鍋 大島」の店長(オーナー)として活躍(2014年の離婚後に手放す)。
現在は、タレント、俳優、実業家として活躍しています。
大島が倒れる日の朝、まずは電車の中で居眠り後に目が覚め「鼻水を思い切りたらしていた」といいます。その後、電車を乗り換えようとするも「身体に力がまったく入らない」「平衡感覚が歪んでいてやたらと壁に当たる」とフラフラの状態に。
電車で携帯を落としたことに気付き、駅員に忘れ物窓口を聞くも「その場所がなかなか見つからない」。ようやく見つけて事情を説明しようとするも「うまく説明できない」。
この時点で異変に気付いたといいますが、携帯を無くした方が気がかりのため必死に説明。その後も「やたらと眠い」「携帯ロックの暗証番号が分からない」「携帯番号が中々思い出せない」「住所記載が全然書けない」「待ち合わせ場所にたどりつけない」などの異変が続々。
”夢の世界と現実世界が一緒になる”という奇妙な症状に襲われたといいます。
結局、「15時半から探して、20時の約束なのに、20時を過ぎても着かない」と、4時間以上経過しても約束の場所に着くことが出来ず、会う予定だった人から連絡あり、自宅へ戻ることに。その後、連絡をくれた人が大島の自宅を訪れて救急車を呼んでくれたそうで、大島は「いつの間にか、病院にいた」とのコメントとともに、病院のベッドの上で撮られた写真を公開しています。
大島は先出の通り、コンビ解散後、2006年に鍋料理店「ちりとり鍋 大島」を開店。2014年の離婚後に手放しています。
俳優として再スタートした矢先に、母親がステージ4の肺がんに罹患(りかん)していることが判明。2017年7月に母親が亡くなるまで俳優業を中断してアルバイトをしながら介護に尽力していた苦労人です。
所属事務所によると、症状は軽度で1週間程度で退院できる見込みとのことです。一刻も早く回復し、俳優として成功してほしいですね。