中国料理人・金萬福さん(65)と聞いて 懐かしがる方も多いと思います。そうです、あの 90年代の人気バラエティ番組「浅草橋ヤング洋品店」(テレビ東京)で 活躍した方です。
体を張ったパフォーマンスを明るく元気いっぱいにこなし、周富徳さん(故人)と“中華大戦争”を繰り広げながら、大いに笑わせてくれたものです。その 金さんは今、栃木の宇都宮東武ホテルグランデの中国料理「竹園」で総料理長を務めているそうです。近況はと言うと…
「極貧生活」の真相は?
「宇都宮に来たのは2007年ね。もう13年になる。早いね~。宇都宮は繁華街でさえ夜8時にはまっ暗。24時間明るい東京から来て、最初は寂しかった~。でも、もう慣れた。
宇都宮に来たのは、知り合いに声をかけられたから。その前にやってた赤坂の店がなくなって、ちょうどフリーだったからタイミングが良かったね。2年間くらいで東京に戻るつもりだったけど、「竹園」を作って責任があるから戻れなくなったよ。
JR宇都宮駅から歩いて3、4分のワンルームマンションに住んでる。インターネットに「極貧生活」と書かれてる? 前は古い借り上げ社宅だったから(笑)。今は違うね。キレイな部屋。6畳以上ある。給料、ちゃんともらってるよ。
東京の中目黒にも部屋を借りたままだし、税金、社会保険払ってるからそんなに残らないけど、今は香港の家族に仕送りもしてないからラクね。東京の部屋? 洋服とか雑誌とか荷物置いてるだけ(笑)。」
テレビ出演は 故・周富徳さんの推薦
「周さんは香港にいたときからの友達。友達から紹介されて、香港で何回も一緒にご飯を食べたりしてたよ。周さんからはずっと「日本に来てよ」って言われてたね。テレビに出たのも周さんが推薦してくれたから。
周さんがいなかったら、ボクの人生、違ったよ。周さんとテリー伊藤さん(「浅草橋ヤング洋品店」演出)、一番の恩人。周さんが6年前に亡くなったとき、ボクはイベントの最中だった。ショックだったね。亡くなる1、2年前に横浜の中華街で一緒に食事行ったのが最後だけど、顔色悪かったよ。糖尿病あったね。寂しいね。周さんに誘われてテレビの仕事してなかったら、2年で香港に戻ってたかもしれない。テレビ出て人生変わった。周さんのおかげね。」
本当はアメリカのサンフランシスコに行くつもりだったという彼の人生のターニングポイントには 故・周富徳さんの支えがあったようです。
それでも「楽しかった」 “浅ヤン”の過酷ロケ
「“浅ヤン(浅草橋ヤング洋品店)”出始めたとき、新横浜プリンスホテルで総料理長やってたけど、プリンスホテルはアルバイトはダメだから、「もしテレビに出たいなら辞めてください」と言われた。それでホテル辞めた。“浅ヤン”の仕事、ほんと大変だったけど、楽しかったから。死んじゃうんじゃないかと思うほどめちゃめちゃ危ないことやったし、26時間寝ずに撮影もあった。撮影終わった後はいつも、身体ボロボロだったよ(笑)。
一番キツかったのは、クレーンに吊るされて麺を茹でたロケね(笑)。後から思うと、よくやった。まだ30代で体力があったから、何でもやってみたかった。「やってみよう!」って心の中で火が燃えてたね。だって、料理人がバラエティに出られるチャンスってそんなにないから。一生懸命やったよ。ケガはしたことない。テレビに出て、みんなに自分のこと知ってもらえて嬉しかった。」
その当時の収入は 1年で 5000万円の時もあったそうです。
知人に何千万円も騙されたことも
そんな彼も、香港や赤坂で中国料理店を一緒に運営した知人に何千万円もだまされて、宇都宮に来たときは、借金がまだ少しあったそうです。既に借金は返済済みではあるが、その知人には、お金のことより 赤坂の店に来たテレビの仕事の依頼を 勝手に仕事断られたことが不満だったという。
「テレビの仕事、またやりたいね。今、「竹園」の仕事あるからスケジュールなかなか合わない。でも、ときどきやってるよ。友達のおぎやはぎのラジオ番組とかね。この前、江頭2:50のライブにもゲストで出たよ。江頭は“浅ヤン”の時からの悪友(笑)。ギャラは交通費で終わりだけど、それでもやる。友達だから、お金、関係ない。」
香港の家族とは毎日LINEでやりとり
「奥さんと息子は香港では知られた家具会社で働いてるよ。奥さんは会社のトップですよ。でも 香港には3年半ぐらい帰ってない。去年の8月、帰ろうと思ったけど、デモがすごいからやめた。香港にはお兄さんたち、奥さん、娘、息子、孫も3人いて、奥さんは10年ぐらい前からずっと「帰ってきて」と言ってる。でも、帰ったらまた仕事、ゼロからだから、日本で仕事したほうがいいね。日本の居酒屋とか洋服も好きで、日本が合ってるし。
家族とは毎日のようにLINEでやりとりしてる。香港のデモは大丈夫って言ってるから、心配してない。日本長くなって、1人暮らし慣れてるから、寂しくもない。毎日、夜中3時くらいまでテレビとかユーチューブ見てるよ。香港、台湾のニュース、映画、日本のバラエティ、ボクシングとか格闘技も大好きね。自炊? 面倒くさいよ~、パン買う、カップラーメン食べる、で、じゅうぶんね(笑)」
1954年4月24日、香港で農家の三男に生まれた金萬福(きん・まんぷく)さんは、叔父の誘いで 14歳の時、料理の世界に入り、23歳で香港の「鳳凰酒楼」料理長に就任。1988年、単身来日。甲府富士屋ホテル、新横浜プリンスホテル料理長に就任するも退任し、1992年、バラエティ番組「浅草橋ヤング洋品店」(テレビ東京)に出演し人気を得ました。現在は、2007年から宇都宮東武ホテルグランデの中国料理「竹園」総料理長を務めているそうです。