1日放送のTBS「A-studio」(金曜後11・00)にお笑いタレントのカンニング竹山さん(48)が出演。番組内では、2006年12月に急性リンパ性白血病で他界した相方の中島忠幸さん(享年35)とのカンニング結成やブレイク後の生活などを振り返っていました。
偶然の再会
竹山さんと中島さんは小学校からの同級生だったといいます。「カンニング」結成前、竹山さんは同級生と「ター坊ケン坊」というコンビで活動しており、その頃、中島さんは地元福岡の料亭で板前修業中だったようです。
19歳の頃、竹山さんは「ター坊ケン坊」の相方を福岡に置いて自身は東京へ逃亡したといいます。その後は、東京でバイト生活を送っていた竹山さんですが、ある晩、中島さんと偶然の再会を果たします。たまたま、西荻窪の定食屋に行くと、ビールを飲んでいる中島さんの姿が。修行先で先輩を殴って飛び出し、中島さんもたまたまた東京に来ていたそうです。
「カンニング」の始まり
その後、竹山さんは行くところもないので、中島さんと半年ぐらい東京を満喫したそうです。そして、竹山さんは中島さんに「なかやん、お笑いしたいんだけど、やらん?」とお笑いに誘ったら「やろうかな」と、1992年に中島さんとコンビ結成となりました。
竹山さんがネタを考え、中島さんは板前修業の前にアイドルの親衛隊をやっていたということで営業面を担当。中島さんは親衛隊の時の経験があったため、プロダクションなどの知り合いが多くいたそうです。中島さんがプロダクションに積極的に電話して、竹山さんはネタ作りに集中したといいます。これが「カンニングの始まりです」と懐かしみながら、振り返っていました。
人気絶頂での病発覚
2004年12月、テレビやイベントに引っ張りだことなり、売れっ子になった当時、中島さんに病気が発覚。1日2時間とかの睡眠で、カンニングの2人とマネジャーを含め3人で働いておりテレビの仕事をめちゃくちゃなスケジュールでこなしていたそう。
ある日、ロケバスに乗って3人で寝ていた時、中島さんは「ちょっとしんどいわ!」といって呼ばれても起きれなかったそうです。風邪だろうってことで病院に行ったら「風邪だ」と言われたと。その後も忙しく休めないから無理して働いていましたが、「『やっぱりしんどいから、風邪じゃないんじゃないか』って大学病院に行ったら『白血病です』って…」と病気の経緯を説明しました。
病気を知らされた時は、ちょうど大阪で明石家さんまさんの番組に出る日だったそう。東京駅にいる時にマネジャーから電話が来て相方の病気を知らされたといいます。その日、番組には、1人で出演。そこから相方の闘病生活が始まりました。約2年闘病し、最後の方は病院を出て来たりしていたようで、2人で「ここからだな」と話していたといいます。しかし、願いは叶わず2006年12月ウイルス性肺炎のため35歳という若さで中島さんはこの世を去りました….
。最後に竹山さんは「今はかなりの確率で治りますけど」と悔やんでいました。
まとめ
中島さんが亡くなられたことによって、コンビは実質解散という形にはなりますが、竹山さんは自分が活躍することで、「カンニング」というコンビを忘れないでもらえると発言しています。