今やジャニーズを代表するグループへと成長した関ジャニエイト。その中でもひときわ明るく、周りの人を元気にしてくれるのが丸山隆平さんです。しかし、ネットで丸山隆平と検索すると中傷というキーワードが・・・。いったい彼に何が起こったのか、中傷とは何のことなのか、その真実に迫ってみたいと思います。
小さい頃からムードメーカーだった丸山隆平さん
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1983年、丸山隆平さんは丸山家の長男として京都で生まれました。小さい頃は自分のことをなぜか「れっくん」と呼んでいて、すでに周りの人を笑わせるキャラクターとして育っていました。まるやまりゅうへい・・・どこをどう取ってれっくんという愛称になったんでしょうか、気になります。弟と妹が誕生したときにも丸山隆平さんはとても喜んで、一緒に遊んであげたりお世話をしてあげていました。家族想いで小さな頃から明るいキャラクターだったところを見ると、中傷というワードからはかけ離れているように感じますね。中傷とは子供の頃のことではないようです。
丸山隆平さんのお父さんがジャニーズ入りを勧めた
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ジャニーズに入るきっかけを作ってくれたのは、丸山隆平さんのご両親でした。オーディションの結果はなんと一発合格!当時から光るものがあったのでしょうね。見事結果を出した丸山隆平さんでしたが、ジャニーズジュニアとしての活動は決して楽なものではありませんでした。体力も気力も使い果たしたあとで、夜行バスを利用して帰る生活が続きます。そんな限界が近い日々の中でも、メンバーのことを中傷することもなく明るさを失わずに活動を続け、ついに関ジャニエイトとしてデビューできる日を迎えたのです。いつも思いやりや和を大切にしてきて仲間からの信頼も厚かった彼ですから、当然中傷されるようなことはありませんでした。
関ジャニの癒し系メンバーとして人気になった丸山隆平さん
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2002年に念願のデビューを果たした8人のメンバーは、ますます輝いていきます。丸山隆平さんは癒し系メンバーとして広く知れ渡るようになり、応援する人の数も爆発的に増えていきました。CDデビューはもちろんレギュラー番組も持ち、忙しい日々が続きます。その疲れからかメンバー同士が中傷しあっていたときでも、丸山隆平さんはその仲介に入りみんなを説得していました。自分自身もそんな余裕は無かったでしょうに・・・本当に温かい心を持った人だというのがよく分かりますね。2005年にメンバーの一人が未成年飲酒事件を起こしてしまったときにも、決して彼を中傷することはなく、7人で頑張っていこうと前を向いて歩き始めるのでした。
メンバー脱退後に丸山隆平さんに起こった悲劇
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7人になってしまった関ジャニエイトでしたが、落ち込むファンを勇気づけようといつもと変わらない元気なライブを行うことを決意します。しかし、そのステージで丸山隆平さんが受けたのは、脱退したメンバーの一部のファンの方達からの中傷でした。応援用のうちわには「丸山いらん」「お前が脱退しろ」など、心無い言葉がたくさん書かれていました。こんなことをされたら大抵の人はやる気がなくなるでしょうし、怒りをぶつけるでしょう。でも、丸山隆平さんはそれらの中傷に対し「ごめんな」と申し訳なさそうに口パクで対応したのでした。丸山隆平さんがたくさんの人から愛される理由が、よく伝わってくるエピソードですね。
真相は一部の心無いファンの人達による丸山隆平さんへの中傷
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中傷というワードは、丸山隆平さんに原因があったわけではなく、一部のファンの方の暴走が原因だったということが分かりましたね。この中傷事件の後、芸能界の中でも丸山隆平さんの人柄に惚れる人が続出したというエピソードもありました。最近はMCや映画にも挑戦して、ますます活躍の場を広げている丸山隆平さん。今後もその太陽のような人柄で、たくさんの人を楽しませてくれることでしょう。