今月8月9日、長崎への原爆投下から74年が経ちました。長崎市では平和祈念式典が開かれ、被爆者による平和への誓いが述べられたのですが、そこで語られたのは当時の残酷な生々しい現実。被爆者の方たちが「この問題だけはアメリカに追従しないで」と悲痛な思いを述べました。
今回、平和の誓いを読み上げたのは山脇佳朗さん。山脇さんは、11歳の時、被爆地から2.2キロの自宅で被爆した際の体験を紹介しました。山脇さんは生き延びましたが、被爆地から500メートルの工場で勤務していた父が爆死。父の遺体を探し、兄弟と一緒に自分たちで火葬した体験を語りました。
「焼けていく父の遺体を、見るに耐えられらず、燃え上がる炎を見ながら、その場を離れました。
翌日、遺骨を拾いに行きました。でも遺体は半焼けで、完全に焼けていたのは手足の一部だけでした。せめて頭の骨だけでも拾って帰ろうと兄がいい、火箸で触れたら、頭蓋骨は石膏細工を崩すように割れ、白濁した半焼けの脳が流れ出したのです。
兄は悲鳴をあげて、火箸を捨てて逃げ出しました。私も、その後を追って逃げ出したのです。私たちは、こんな状態で父の遺体を見捨ててしまいました」
悲惨な体験を語った山脇さん。自身のような、こうした悲劇を二度と繰り返さないために、式典に出席した安倍晋三首相に向けて、次のように問いかけました。
「被爆者が生きている間に、世界で唯一の被爆国として、あらゆる核保有国に核兵器を無くそうと働きかけてください。この問題だけはアメリカに追従することなく、核兵器に関する全ての分野で、核兵器廃絶の毅然とした態度を示してください」
これに対し、ネットからは、「子供の世代も平和でありますように。と深く思います。」「安倍さんは発言と行動の乖離がすごい。」「過ちは繰り返さない、の、過ちとは。」「日本が核兵器廃絶に1番に動かなきゃ駄目だろ アメリカの顔色伺ってばかりじゃないか!」と多くのコメントが寄せられていました。
今回語られた、平和への誓い全文は、以下となっています。
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平和への誓い
1945年8月、アメリカが広島・長崎に原爆を投下し、20数万人の命が奪われました。
私は当時11歳、爆心地から約2キロの自宅で被爆しました。
母と4人の妹・弟は佐賀へ疎開していて、難を免れましたが、父は爆心地から500メートルの工場で爆死していました。
私たちは、兄弟3人で焼け残りの木片を集めて、焼け落ちた工場のそばで、父の遺体を荼毘に付しました。しかし、焼けていく父の遺体を見るに耐えられらず、燃え上がる炎を見ながら、その場を離れました。
翌日、遺骨を拾いに行きました。でも遺体は半焼けで、完全に焼けていたのは手足の一部だけでした。せめて頭の骨だけでも拾って帰ろうと兄がいい、火箸で触れたら、頭蓋骨は、石膏細工を崩すように割れ、白濁した半焼けの脳が流れ出したのです。
兄は悲鳴をあげて、火箸を捨てて逃げ出しました。私も、その後を追って逃げ出したのです。
私たちは、こんな状態で父の遺体を見捨ててしまいました。
原爆で、火葬場を破壊されたため、家族や身内を亡くした人々は、私たちと同じようい、無残な体験をしなければならなかったのです。
それだけではありません。かろうじて生き残った人々は、熱線による傷や、放射能による後遺症に悩まされながら、生きていかなければなりませんでした。
私たちは、原爆の被害を受けて20数年後、急性肝炎、腎炎を発症し、今も治療を続けています。さらに60数年後には、胃がんに犯され、2008年10年にガン抽出する手術を受けました。あの時私と一緒に行動した。兄と弟もがんに犯され、治療を続けています。
あれから74年、被爆者の私たちは、多くの方々と核兵器廃絶を訴え続けました。
また、60歳をすぎて、英語を独学で学び、2015年11月、長崎で開催された核防止会議では、世界の科学者に核兵器廃絶に力を貸してくださいと訴えました。
しかし、ロシア、アメリカの国々に、今もなお、1万3880発もの核兵器が保有されていると言われています。
さらにアメリカが、ロシアとの間に中距離核戦力に締結している、中距離核戦力全廃条約からの離脱を宣言し、執行しました。
2月には、トランプ政権になってから2回目の臨界内核実験がおこなったと報じられています。これは核兵器の廃絶を願う人々の期待を裏切る行為です。被爆者が日を追うごとに亡くなっています。
私は、この場を借りて、安倍総理にお願いしたい。被爆者が生きている間に、世界で唯一の被爆国として、あらゆる核保有国に核兵器を無くそうと働きかけてください。
この問題だけはアメリカに追従することなく、核兵器に関する全ての分野で、核兵器廃絶の毅然とした態度を示してください。もちろん、私も死ぬまで、核兵器廃絶を訴え続けます。
それが、74年前、広島長崎の原爆で失われた20数万の人の命。後遺症に苦しみながら生き残っている被爆者に報いる道だと思います。
私は、第二次世界大戦によって、310万人もの命を犠牲にした日本が、戦後に確立した平和憲法を守り続け、戦争や核兵器のない国を目指す主導的な役割を担ってほしいと念願し、平和の誓いとします。