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いろいろな人生がありますが、歌手・尾崎豊ほど起伏に富んだ人生は見当たらないでしょう。わずか26歳の生涯でした。彼の波乱万丈な人生を知り、ふと俳人、石川啄木の生涯が頭に浮かびました。人生の荒波と真向こうから戦い、破れてしまう。それが若年ですから人々の涙を誘います。26年で閉じた尾崎豊の人生とは。規則に縛られることを嫌い、反抗しひたすら奔放に、納得の行くエリアを求めて彷徨う。それが尾崎の生涯でした。彼のヒット曲には、切ない反抗心が詰まっていて、ティーンエイジャーたちの熱烈支持がありました。若者を中心に人気が出て、ライブステージも満員になるなど頂点を極めていき、「若者のカリスマ」と呼ばれるようになります。
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しかし、音楽活動におけるトラブル、対人関係の悪化などでストレスが溜まっていきます。身も心も疲れ果て、仕事をキャンセルしてアメリカに渡りました。そこからうまく立ち直るアーティストもいますが、尾崎豊はなかなか軌道に乗せることができず、焦っていました。そのころ彼は、若年ながら結婚をし子供も授かります。当時モテモテだった尾崎ですが、女優と不倫関係を持つなど、私生活は波乱ずくめでした。弱冠20代の若者です。音楽の才能は開花しても、世間知らずの面は拭えず、それが彼を転落に追いやったのでしょうか。頼りに思っていた多くの人に騙され、尾崎豊は自暴自棄になっていました。彼の傷心を癒してくれたのは家族でしょう。とりわけ、妻と幼い子供の存在が大きいと言えます。
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コンサート活動などで、徐々に復活の道が成功してきた尾崎豊。しかし人間不信の気持ちはふさがりません。悲しいあの日が近づきます。1992年4月29日に死亡、享年26歳。自殺というにはあまりに不可解な死に方でした。人気絶頂のアーティストの死に、ファンが多く駆け付けて悲しみます。
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莫大な遺産だと言われ、「親族同志が揉めている」との報道もありました。妻である繁美さんが相続をしたのか、気になるところです。彼女は芸能人ではなく一般人。立ち入った報道はできません。ただ尾崎豊亡き後、住まいをアメリカに移したそうです。今は50歳ぐらいでしょう。遺産相続も法定通りだと、多くが妻にいきます。子供は当時まだ幼児ですから、ほとんどが妻・繁美さんの相続となるのでしょうか。報道が少ないのでわかりません。
最近も有名作曲家が死亡し、相続問題が報道されていました。それを拝見して、相続税を払っても莫大な印税が発生するので驚きます。音楽界で有名になると、印税収入というお得な収入が入り込むのです。尾崎豊の場合も、かなり多いと噂されています。親族で揉めて民事訴訟になるケースもあるそうです。
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尾崎豊の息子が気になりますが、同じ歌手の道を歩み出しています。名前は裕哉さんと言います。アメリカで育ったので英語は堪能。なかなかの秀才らしく、慶應大学大学院修了です。父・尾崎豊のヒット曲を披露したところ、すごくよく似ていたと評判でした。歌ったのは「15の春」という歌です。品行方正そうな裕哉さんが選んだのでしょうか。父親の尾崎豊の半生を綴ったような曲。父はバイクを吹っ飛ばし、酒やタバコを吸い、停学処分を受けたようなタイプ。息子はそんな事しそうもないけど、「15の春」を歌う。これがそっくりだったという。親子というのは正反対でも、不思議な共有部分があります。
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幼児の時に父が亡くなり、その後はずっと父親のぬくもりを知らない。裕哉さんはそういう環境で育ちます。「友達は両親が揃っているのに、なぜボクのところはおやじがいないんだ。」何度もそう感じてきたことでしょう。隙間風が吹きつける彼でしたが、ある決心も。「父親の歌を知れば、心の隙間が埋まるかもしれない。」
「父親の歌を知ることで父親がわかってくる。」歌手になった動機がこれだとは言いません。でも裕哉さんは父・尾崎豊を尊敬し、自慢に思っている。だからこそ、父の遺志を受け継ぐ気になったのです。それは母・繁美さんの苦労をそばで見てきたから、なのでしょう。