浜崎あゆみは、ファッション面でも中高生の憧れのカリスマ的な存在として注目され、数多くの大ヒットを飛ばした日本を代表する歌手ですが、その前まではモデルや女優として活躍していたことはご存知でしょうか?
あゆやAYUの愛称で親しまれている浜崎あゆみは本名は濱﨑 歩で、1978年10月2日生まれの福岡県福岡市早良区出身で、福岡市立原中学校を卒業しています。
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小学生の頃にSOSモデルエージェンシー福岡にスカウトされ、1978年から1997年までの間「浜崎くるみ」という芸名で福岡中央銀行のポスターや地元商業広告のモデルとして活躍していました。
1993年にはモデルの仕事をしながら、テレビ朝日系テレビドラマ「ツインズ教師」女優としてデビューし、その翌年の1994年に「浜﨑あゆみ」に芸名を改名し、この年の4月に堀越高等学校の芸能活動コースに入学しています。
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その後も、テレビドラマ「未成年」や「闇のパープル・アイ」をはじめ、映画「渚のシンドバット」などに女優として出演のほか、グラビアアイドルとしての活動なども行なっていました。
1996年にはボイストレーニングのため単身ニューヨークに渡り、1998年4月8日に1stシングルの「poker face」を発売し「浜崎あゆみ」としてデビューを果たしています。
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翌年の1999年1月1日に1stアルバム「A song for xx」を発売しオリコンチャート1位を初めて獲得し、4月14日に発売したシングル「LOVE 〜Destiny〜 / LOVE 〜since1999〜」でシングルでも初めてオリコンチャート1位を獲得しています。
この年には、8月に発売したシングル「A」ではミリオンセラー、さらにNHKの紅白歌合戦にも初出場しています。
ニューヨークで培ったファッションセンスやメイクなど、女子高校生を中心にカリスマ的存在として有名になり、あゆブームとなったというわけです。
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金髪に大きめなサングラスに派手なファッションな浜崎あゆみですが、女優業だけの頃は想像もつかないほどの清楚なイメージだったようです。
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歌手デビューして以来カリスマ的な存在となった浜崎あゆみは、さぞかし優雅で華やかな環境で育ったと思われがちですが、実際は浜崎あゆみが幼い頃に父親が蒸発してしまい、父親の思い出も記憶もないと言っています。
それからは母親とふたりで生活をし、寂しい思いをずっとして来たようです。
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母親に甘えたい子供の頃から「親子だからって全く違うそれぞれの人生。私は私、あゆみはあゆみだからね」と突き放され、そんな時にはおばあちゃんに甘えていて、おばあちゃん子だったようです。
当時の寂しさや気持ちが「A Song for xx」の曲中に綴られています。
浜崎あゆみが手がけた歌詞から父親は死んでいるのではないかという噂されたりしていますが、歌詞の中には悲しめな内容であっても父親をイメージしている言葉もなく、父親の記憶がないことなのでその真相は明らかではありません。
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母子家庭の中で、母親に甘えることなく寂しい思いした幼い頃の生い立ちが浜崎あゆみの歌詞にリアルな表現がされているのでしょう。
見た目の派手でセレブな印象や小さい頃から周囲からチヤホヤされて来たわけではなく、歌手デビューするまでは大人しい普通の女の子だったということなんです。
とはいえ、ボイストレーニングでのニューヨーク生活時代が浜崎あゆみ自身の持つ、才能やセンスを最大限に引き出されたことが、日本中で注目されるスターとなったといえます。
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プライベートでは、結婚と離婚を繰り返していますが、母親とも良い関係を続けながら、活動拠点をシンガポールに移し活躍しています。
これからも日本を代表する伝説の歌姫として、シンガポールはもちろん世界の歌姫として活躍することでしょう。