亀田誠治は両親がアメリカに仕事の関係で駐在していた時にニューヨークで生まれますが、生後1年で帰国し幼少期は大阪で過ごしています。3歳からピアノを習い始め小学校5年生の時に自宅で見つけたクラシックギターを弾いたことがきっかけで、ギター教室に通い始めます。小学校6年生の時に東京に引っ越したためギターとは縁遠くなりますが、洋楽のヘビーリスナーになり中学2年生でベースを購入するとプロのミュージシャンになることを意識し始めます。
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活動をスタートしたのは?
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大学に進学後ピアノ兼ヴォーカリストと音楽ユニットを結成して活動をスタートさせ、卒業後に編曲家として活動を始めます。現在は編曲家としてまた音楽プロデューサーやベーシストとして活躍していますが、下積み時代はかなり苦労しています。就職活動は一切せずに作曲に没頭し、デモテープを作ってはレコード会社に送ってバンドコンテストに応募するなど精力的に音楽業界へアピールを続けます。デビューどころかお払い箱にされてしまうなど散々な結果でも楽天的なところがあり、ディレクターから社交辞令でスタジオに勉強がてら遊びにおいでといわれたことを真に受け毎日通うようになります。
本格的な編曲家になってからは?
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プロの仕事を間近で見て学ぶうち、徐々に仕事を任されるようになりついに編曲家として活動を開始します。多くのアイドルや声優たちの作品を手掛けていきながら、ベースを担当してたくさんの歌手のライブに参加しています。亀田誠治と仕事がきっかけで知り合った歌手やバンドがブレイクして、一躍全国に名前が広がったスターたちがたくさんいます。2001年からは女性歌手の誘いで念願のバンドデビューを果たしていて、見た目はすごく温厚でほのぼのした感じですがいったんベースを手にするとめちゃくちゃかっこいいと評判です。亀田誠治のこのギャップが、ファンを惹きつける魅力となっています。
ベースラインのテクニックの凄さが魅力の亀田誠治
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亀田誠治のバンドは現代のJポップが持つメロディーと伴奏の関係が明確でわかりやすいものではなく、ボーカルとギターなどそれぞれのパートが対等で複数のメロディーが合わさってハーモニーを生み出しています。あえてメロディーと伴奏を明確に分けていないため、亀田誠治のベースはスライドなどを多用していてうねるような派手なフレーズが多いのが特徴です。このバンドの音楽スタイルの対極にある楽曲にも編曲家として参加していて、楽曲によって柔軟に変化させるベースラインのテクニックの凄さが魅力です。