千鳥の大悟とノブは広島の高校で知り合い、そこで友達になりました。
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高校時代からお笑いのセンスがあった二人は、同級生の中では人気者で、学園祭で漫才をしたり、司会進行をしました。そして、高校卒業後、大悟はお笑い芸人を目指して大阪へ、ノブは地元の大手企業に就職しました。大悟は一人で芸人を目指すため、NSCを受験しましたが、なんと不合格という結果になります。芸人になる方法が分からなくなってしまった大悟は、一度地元に戻り、ノブをお笑いの道へ誘います。ノブは地元で仕事をしていましたが、仕事に嫌気が差していたため、お笑いへの道へと進みます。
お笑いコンビとしての活動
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こうして千鳥のお笑いコンビとしての活動がスタートします。まず始めに千鳥は漫才で頭角を現します。コンビ結成から数年で、M-1グランプリという漫才の最高峰の大会へ出場します。結果はそこまで良くなかったですが、千鳥という名前を全国に知らしめることには成功しました。
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ここから、千鳥は大阪でお笑い芸人としての力を地道につけていきます。ロケ番組などを中心に色々な番組に出演し、大阪ではレギュラー番組を獲得します。大阪での成功を自信にして、東京へ進出します。東京進出のきっかけになったのは、「ピカルの定理」という番組です。コントを中心とした番組で、若い世代に人気を得ていた番組でした。
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しかし、その「ピカルの定理」は千鳥がレギュラーとして参加するようになって半年ほどで番組が終了してしまいました。この「ピカルの定理」が終了したことで、千鳥の東京でのテレビ出演は激減しました。テレビ局も千鳥の起用方法が見つからないといって、千鳥を使う番組もなくなってしまいました。しかし、埼玉のテレビ局が千鳥を使ってロケ番組を始めます。
ロケ番組スタート
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これが話題になり、ロケ芸人としてテレビに引っ張りだこになるようになります。千鳥のロケの面白さは抜群で、何もないところでも自分達で面白く展開することが出来ます。これは大阪での経験が活かされています。さらに遡ると、千鳥の面白さは大悟の生まれ育った環境も影響していると思います。大悟は広島にある北木島という人口1000人以下の離島で育ちました。
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島には信号が無く、学校では信号を見て、横断歩道を渡る授業があったそうです。また、ゲームやアトラクションなどもないので、毎日釣りをして遊んだり、海に潜って魚と取ったりしていたそうです。マクドナルドなどもファーストフードも島を出ないと無かったそうです。