日本を代表する女優といえば吉永小百合さん。そんな吉永小百合さんのプライベートに迫ってみます。
1960年代を中心に多くの映画に出演し現在も活躍中の人気映画女優で、熱血的ファンのことを「サユリスト」と呼ぶことはよく知られています。
28歳で結婚したものの、なぜ子供を産まなかったのでしょうか。
子供を持たない吉永小百合さん、そのプライベートは?
写真:chumoku-topic.info
本名:岡田小百合
生年月日:1945年3月13日(72歳)
出身地:東京都渋谷区
血液型:O型
1960年代を中心に女優、歌手としても大成功した吉永小百合さん
写真:pinky-media.jp
1957年、まだ小学生のころ、連続ラジオドラマの『赤胴鈴之助』でデビューを果たし、10月には、テレビドラマの『赤胴鈴之助』でテレビデビューしています。
1962年高校在学中には浦山桐郎監督の『キューポラのある街』にヒロイン役で出演し、ブルーリボン賞主演女優賞を当時最年少で受賞。また、ビクターから『寒い朝』でレコードデビューするも売り上げ20万枚のヒット、その後橋幸夫さんとのデュエット『いつでも夢を』が30万枚の大ヒットとなり、第4回日本レコード大賞も受賞しています。
このころから日活の清純派女優として活躍し続けています。
高校は俳優業多忙のため中退となっていましたが、1965年には大学早稲田大学第二文学部西洋史学専修に入学し、4年後次席で卒業。
1973年に当時フジテレビのディレクターだった岡田太郎さんと15歳差の結婚。その後岡田さんは共同テレビ社長、取締役相談役を就任しています。
女優業多忙な中、早稲田大学第二文学部を次席で卒業した吉永小百合さん
都立駒場高校から1961年に転入学していた精華学園女子高等学校は、女優業多忙のため中退となっていました。しかし1965年に大学入学資格検定に全科目合格は出来なかったものの、早稲田大学から高卒と同等以上の学力があると認められ、第二文学部史学科西洋史専修に入学しています。変わらず多忙な中、正規の4年で、しかも次席での卒業をしており、頭の良い方だというのがわかります。
早稲田大学といえば、大学ラグビー選手権で16回もの優勝を誇る名門校でもあります。吉永さんは大ファンでもあるラグビー部に毎年牛一頭分の肉を差し入れしていることなどから、「早稲田の母」として部員たちからも慕われているようです。
吉永小百合さんに子供がいない、その理由とは!?
吉永小百合さんは28歳の時に当時フジテレビディレクターの岡田太郎さんと家族の大反対を押し切って15歳差の結婚をしましたが、子供はいません。それには彼女の複雑な家庭環境と子供時代の過ごし方にあるようです。
また幼いころから女優として活躍していた彼女の親は、かなりのステージママで、自分の子を立派な女優にすることに一生懸命。家の中でも笑顔で女優らしく振舞うことを強いられていたようです。「人間である前に女優であれ」と教えられてきた吉永小百合さんは、子供を産むことは女優業に差しさわりがあるということ、また父親は事業に失敗し、彼女のマネージャーを務めていましたので、女優業で家族を養っていたという複雑な家庭環境もあり、自身の親との関係や反発心から、子供との関係づくりに不安を感じていたのではないかと思います。
日本の母として現在多くの作品で活躍する吉永小百合さん、現在反日活動の噂も!?
女優業を全うするため、子供を産まない選択をした吉永小百合さんですが、子供を持たなかったことに後悔する気持ちもないわけではないようです。しかし、子供を持たずに女優業に専念したからこそ、今の大成があるのではないでしょうか。
2015年に公開された山田洋二監督の映画『母と暮らせば』では、嵐の二宮和也さんが母と慕っており、また彼女も本当の子供のようだと思っていたようです。ラグビーの五郎丸選手に対しても活躍を見守り母親のようなコメントをしている姿からも、まさに彼女は「日本の母」なのだと感じさせられます。
一方、吉永小百合さんは反日活動をしているという噂があります。反原発派として声を上げていることが理由のようです。平和活動のために原爆詩の朗読を行うなど、平和活動にも力を入れていることから、そのような噂に発展したものだと思われます。反日というには少しオーバーかもしれませんね。
まとめ
日本の母として誰もが憧れる吉永小百合さんには、さまざまな過去や努力があったのですね。
子供を持たない理由についても、自身の家庭環境にあったということで、親子の関係を考えさせられます。
ですが、子供を持たずに活躍し続けているからこそ、今の「吉永小百合」があるとも言えます。これからも日本の大女優として多くの作品に命を吹き込んでいってほしいと思います。