マイケルジョーダンは良く言えば闘争心がとても強いが、実際は相当な負けず嫌いだった?
噂によると、そのせいでチームメイトから嫌われていたとか…。
そして!16歳の隠し子がいて裁判を起こされていたとか…。
数々の噂話とマイケルジョーダンの輝かしい経歴を徹底解説します。
マイケルジョーダン【プロフィール】
本名: マイケル・ジェフリー・ジョーダン
生年月日: 1963年2月17日
出身地: ニューヨーク州ニューヨーク市ブルックリン区
血液型: A型
マイケルジョーダンの【来歴】
1984年 NBAドラフト シカゴ・ブルズに全体3位で指名
アメリカ代表としてロサンゼルスオリンピックに参加、中心選手の一人として金メダル獲得に貢献した
1993年7月23日 3連覇を達成したシーズンオフに不慮の事故で父親を亡くしたジョーダンは突如引退を表明した
引退後、突如野球への転向を表明し、シカゴ・ホワイトソックスのキャンプに参加
1995年3月 シカゴ・ブルズに復帰した
1993年1月 シーズン終了後に2度目の引退を発表する
2001年 2度目の復帰、2003年 3度目の引退 引退までにMVPや得点王、新人王など数々の賞を受賞した
2006年 シャーロット・ボブキャッツの共同オーナーになりかねてより希望していた選手人事の最終決定に関わる役割を担う
2010年3月 ボブキャッツを買収して元選手としてはNBA史上初の筆頭オーナーに就任し、現在に至る
2016年 大統領自由勲章を受章した
マイケルジョーダンの【性格・エピソード】
マイケルジョーダンを知る人は、みな口をそろえて、奴ほど競争心の強い男はいないと言います。
マイケルジョーダンは、食って掛かってくるチームメイトを殴ったこともあります。
殴って殴り返されて、チームメイトとの絆を深めていきました。
食中毒になり一人で立っていることもままならない状態で試合に出て、ブルズを勝利に導きました。
敵チームに次のプレーを予告して、そしてその通りに実現させ実力の差を敵に見せつけたりもしました。
バスケットボールに人生を捧げてきた男なのに31歳でもプロ野球選手になれると自分を信じた。
彼が、どうしてバスケの神と称されるほどのプレーヤーになれたのか。
それは彼の持つ並外れた競争心と、闘争本能にあると思われます。
つまりは、簡単に言えば究極の負けず嫌いなのです。数々のエピソードがそれを物語っています。
【噂話その1】マイケルジョーダンはウィザーズ時代若手に嫌われてたらしい!?
噂によると、ウィザーズの選手はみんな、マイケルジョーダンを嫌っていたらしいです。
引退する時に、チームのスタッフが何かジョーダンに贈り物をするかと聞いたら全選手がNOと言ったらしい。
なぜ、そんなに嫌われてしまったのか・・・。
噂によると、マイケルジョーダンは自分が気に入らない選手が試合中にちょっとでもミスをすると
次の試合に出さなかったとか。
自分のチームが負けているのにヘラヘラとしている若手にムカついたという説も。
ジョーダンにしてみれば、当たり前に厳しく指導をしていただけでも
他の選手は練習を休んでしまうほど耐えられなかったみたいです。
ジョーダンは人事権を持っていたので、
そういった人間が一緒にコートに立っているというのもチームメイトには気に入らなかったのかもしれませんね。
【噂話その2】マイケルジョーダンに16歳の隠し子!?
有名人の誰それに隠し子がいたなんて珍しくもないですが…。バスケ界の神様となると話題性は全く違ってきます。
ジョージア州に住む、パメラ・スミスさんが、元NBAスター選手のマイケルジョーダンに対して父親認知訴訟を起こしました。
16歳の息子がジョーダンの実の子だと主張、養育費や療養費を求めて裁判をしているそうです。
スミスさんの主張は、1995年に二人は関係を持ちその時息子を身ごもった。
翌96年6月に出産したということです。
スミスさんは、実父確定検査を実施したうえで息子の全面的な親権を求めているという。
また息子のラスト・ネームを合法的にジョーダンに変えたいと要求した。
しかし、ジョーダンは自分の息子であることは否定。
訴えは全くの虚偽としてこの女性を逆提訴しているとか。
実際は、スミスさんと離婚した前夫との子であると裁判の過程で認定されているらしい。
有名人をターゲットにした恥知らずな虚偽の申し立てで、
ジョーダン氏の名誉を著しく傷つけるものだと、ジョーダンの代理人は言っているらしいです。
まとめ
元NBA選手でバスケットボールの神様と言われたマイケルジョーダン。
数々の負けず嫌いなエピソードから引退に至るまでの経緯、そして噂話まで…。
噂によると、不仲だったチームメイトがいたらしいことや、
16歳の隠し子問題で裁判を起こされたことがあったことなどを掲載してみました。