現在でも、変わらずその美貌を保ち続けている松坂慶子。長きにわたって日本の演劇界を支え続けてきた彼女は、還暦を迎えてからも精力的に活動し続けています。今回の記事では、松坂慶子の魅力と現在の活動について詳しく紹介していきます。
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松坂慶子がブレイクするまでは?
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松坂慶子は、1970年代から活躍し続けている大物女優です。女優業以外にも歌手や司会者などマルチに活躍しており、いつの時も変わらないその美貌は「美人の代名詞」と呼ばれています。
1952年に東京都大田区に生まれた彼女は、父が在日朝鮮人であったため12歳まで韓国籍でした。小学校の時には「くるみ児童合唱団」、中学校の時には「劇団ひまわり」に所属し幼少の頃から芸を磨いてきました。また1967年には実写コメディドラマである「忍者ハットリくん」に出演し、15歳で早くもドラマデビューを飾っています。
そんな彼女が銀幕の世界で活躍するきっかけとなったのは、芸能事務所「大映」からのスカウトでした。そして、1971年に大きなチャンスが訪れます。当時の大物女優渥美マリが降板したことにより、「夜の診察室」のヒロイン役として彼女に白羽の矢が立ったのです。そして見事にヒロイン役をこなし、想像以上の彼女の演技に業界関係者も大きく注目するようになりました。
三拍子揃った大物女優へと成長!
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松坂慶子は1972年、当時最大手の芸能事務所「松竹」へ移籍をします。そして1973年NHK大河ドラマ「国盗り物語」にて織田信長の妻である濃姫役を演じ、その知名度は全国区になりました。
また1970年代後半には、清純派女優からの脱却を図ります。映画業界は、清純派という武器だけでは生き残ることができません。それゆえ彼女はグラマラスなボディも持ち合わせていたため、お色気シーンや濡れ場にも挑戦しました。その体当たりの演技は高く評価され、その後はオファーが殺到するようになります。
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松坂慶子は1981年に「男はつらいよ」シリーズのマドンナ役や「青春の門」、1982年には「蒲田行進曲」と日本を代表する作品に次々とヒロインとして出演します。そして各作品が賞レースにノミネートされ、「日本アカデミー賞最優秀主演女優賞」や「ブルーリボン賞主演女優賞」などあらゆる賞を総なめにする結果となりました。
妖艶な色気という武器を手に入れた彼女は、清純な女子学生役から芸者まで幅広く役をこなせるようになっていたのです。
日本の文化に貢献した大女優!
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松坂慶子は、1990年代にギタリストの高内春彦と結婚します。しばらくは仕事をセーブしていましたが、2000年代に入ると再び精力的に芸能活動を開始。
彼女が再びメディアに登場した時は少々ぽっちゃりとした体型に変貌していたため、多くのファンを騒然とさせました。しかし彼女はそんなこともどこ吹く風で、コミカルなおばちゃんから子供を虐待する冷酷な悪女まで新たな役にも挑戦していきます。
そして2009年、芸術への貢献が称えられ文化人にとって最高の名誉ある紫綬褒章を受賞しました。
松坂慶子は現在でも、度々ドラマや映画などに出演し多くのファンを魅了しています。そして60歳を超えた今でも、彼女の演技力や美しさは健在です。また二人の娘も、女優として活動を行っているようです。
まとめ
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松坂慶子は60歳を超えて、初めてワイヤーアクションをこなしました。このようにいくつになっても挑戦することを大切にしている彼女であるからこそ美しさを保ち続けることができるのでしょう。今後も彼女の活躍からは、目が離せません。