日米開戦時に日本海軍の連合艦隊司令長官として指揮を執ったのが、有名な山本五十六さんでした。戦争時のヒーローのように伝えられることが多いですが、山本五十六さんは、アメリカとの国力の差を指摘しており、誰よりも戦争に反対していた人の一人でした。そんな山本五十六さんのプロフィールと、さまざまな明言についてまとめてみました。
■山本五十六・プロフィール
渾名:おやじ
生年月日:1884年4月4日
死没日:1943年4月18日
出身地:新潟県 長岡市
最終階級:元帥海軍大将
1884年に新潟県で誕生した山本五十六さん。父親が56歳だったので、「五十六」と命名したとされています。もともと山本五十六さんの姓は「高野」でしたが、1915年に長岡藩の家老の山本家を継ぎ、山本姓になりました。
1904年に海軍兵学校に入学し、1905年に巡洋艦日進で日本海海戦に従軍。そのときに左手指と右下腿部に重傷を負っています。
1918年に元会津藩士三橋康守の三女である禮子さんと結婚しましたが、翌年にはアメリカ駐在武官として渡米します。アメリカでハーバード大学に入学した山本五十六さんは、英語習得に励むとともに欧米諸国をまわり、ワシントン軍縮条約後の各国の実態を視察しました。
1936年に連合艦隊司令長官に就任し、1941年にハワイ真珠湾攻撃で指揮をとりましたが、1943年、ブーゲンビル島上空で米軍機によって撃墜され戦死しました。
■やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ
山本五十六の語録の中で「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ」という名言があります。言葉そのとおりの意味ですが、現在では経営者や指導者が引用する格言として有名です。
人に教えるときは、まず自分が手本とならなくてはなりません。「やってみせ」ることで、相手が理解できることも多いのでは。
相手に言葉で説明することは大切です。「言って聞かせて」はまさにそのとおりで、丁寧に相手に教えることで、自分の意志が相手に伝わるのです。
相手に物事を覚えさせるには、実際に実行させることが大事ですよね。「させてみて」初めて理解できることもあるものです。
相手を動かしたいと思うなら、頭ごなしに叱るだけでは動きません。「ほめてやらねば」相手は認められたと思わないため、自分から動こうとしないのでは。
山本五十六さんの名言は簡単な言葉のように聞こえますが、人を動かすための要点を集約しています。この4つを実行することで、人の指導や教育が可能になるのではないでしょうか。
■名言の続き
山本五十六さんの「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ」の言葉の後には、実はまだ続きがあります。
「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず」
「やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず」
「苦しいこともあるだろう 言い度いこともあるだろう 不満なこともあるだろう 腹の立つこともあるだろう 泣き度いこともあるだろう これらをじっとこらえてゆくのが 男の修行である」
男の修行をするための名言になっており、戦争時に人を育成する難しさを語っていたのですね。
■まとめ
山本五十六さんの名言は現代社会にもあてはめることができるのではないでしょうか。子どもの教育や、教育現場や職場での指導、さまざまなシーンで教訓として利用できます。昔の人の名言を読み返してみると、ためになることが多いですよね。