スーちゃんこと田中好子さんは、2011年4月21日になくなりました。
彼女の命日は過ぎましたが、現在でも彼女に特別な思いを抱く女性が、いるのでした。
「好子さんは私から父を奪って、そのせいで私はイジメにもあってきた。私が小学生のときに放送していた人気ドラマの『家なき子』に好子さんも出演していましたが、私は“父親に捨てられた家なき子”と指をさされていました」
このように、自身のつらい過去を明かしてくれたのが、楯真由子でした。
真由子さんは、田中さんの元夫で現在は『夏目雅子ひまわり基金』理事長の小達一雄氏の前妻の娘です。叔母の夏目雅子さんの影響もあることで、真由子さんは9歳から子役としてデビューし、芸能活動をしてきました。
1988年に真由子さんが生まれて、小達氏は真由子さんの母と入籍をしました。
だが、結婚して翌年の1989年、小達氏は妹である夏目雅子さんの友人だった田中好子さんとの不倫交際が発覚されました。
過熱した報道のせいで、真由子さんは母に連れられて北海道の実家に避難していたが、小達氏は真由子さんの母と離婚を決意し、スーちゃんと再婚したことで、世間では“略奪婚”と騒いでいました。
「私は2歳でしたが、テレビのワイドショーに不倫報道での父が映ると“パパだ”と言っていた記憶があります」
小学生の時に子役として芸能活動を始めていた真由子さん、子役同士の中でこんなこともあったと言います。
「当時は『SPEED』が人気で、空き時間に子役同士でアイドルごっこをしていたんですが、オーディションの設定で私は『キャンディーズ』の曲を歌うように仕向けられました。みんな芸能界の子だから、私の境遇を知ったうえで、やらせていたんです」(田中好子は元キャンディーズのメンバーでした)
真由子さんによると、真由子さんが田中さん本人と初めて会ったのは二十歳になった2008年で、小達氏の母であり、真由子さんの祖母のスエさんのお葬式の時でした。
「自分なりの覚悟をして会ったのを覚えています。父を奪ったことは事実ですが大人の事情があり、ひとりの女性として誰かを愛する権利はある。それを非難してはいけないと思うようになっていました」
真由子さんは、芸能界へ後押しをしてくれたスエさんを慕い、祖母の部屋には当時に流行っていたプリクラをよく貼っていたそうで、数日後に祖母の部屋に再び行くと、プリクラが1枚も残らずはがされていたのでした!
「お葬式のとき、好子さんに初めてお会いしたら、私に分厚いファイルを渡してくれました。そこには、プリクラや雑誌のキリヌキがきれいに整理されていました。“おばあちゃんは、いつもあなたのことを考えていたのよ”と、教えてくれたんです。うれしかった。好子さんも家族なんだと初めて気づきました」
その後、田中さんと真由子さんはメールでのやりとりを続けていたそうです。
毎年の法事では顔を合わせていたが、田中さんは約20年にわたる闘病生活の末、なくなったのでした。
「好子さんがなくなったとき、私の母も泣いていました。母としては、こっちは苦労しているのに向こうは女優さんできれいな服を着て、おいしいものを食べてと思っていた。でも、いろいろな思いがあったけど、死んでしまうと、ただ悲しいと言っていました」
しかし、田中さんがなくなった直後のことでした。小達氏は早くも新たな女性と子どもと、新生活をスタートされていると週刊女性が報道したのです!!
「さすがに父にキレました。電話で“ふざけんなよ! 病気の好子さんまで泣かしたのか!”と怒鳴りました。しばらくして、父から電話がきて、“好子はお前のことを心配していて、自分が芸能界の母親になってあげたいって言っていたんだよ”と。
好子さんは、自分ができないことを引き継いでほしいと思っていたようなんです。その思いを引き継いでいくことは、この家に生まれた以上、やらねばいけないことだな、と。許せない存在だった好子さんを、許せるようになっていました」
真由子さんは現在、歌手として活動しています。大先輩で、“芸能界の母親”の田中さんはきっと、天国から応援しているはずです!