オウム真理教により 多数の死傷者を出した 1995年の「地下鉄サリン事件」は、20日で 発生から25年を迎えました。現場の一つとなった東京都千代田区の東京メトロ(旧営団地下鉄)霞ケ関駅で、遺族の高橋シズヱさん(73)らが 犠牲者を追悼しました。
「事件から離れたいと思ったこともあった」と振り返り…
発生時刻に近い 午前8時ごろ駅員23人が 黙とうし、駅務管区長の小川喜治さん(56)が献花。午前10時ごろ訪れたシズヱさんは、「25年間は それまでの生活とは 全く違った。事件から離れたいと思ったこともあった」と振り返りました。それでも…
「 姿かたちはなくとも ずっと主人と一緒に行動してきた」と述べ、涙を浮かべました。
事件は 通勤時間帯に発生。教団幹部らが 日比谷線、丸ノ内線、千代田線の車内で猛毒サリンを散布しました。霞ケ関駅では、サリンの袋の除去に当たった助役で、シズヱさんの夫一正さん=当時(50)=、代々木電車区助役の菱沼恒夫さん=同(51)=が命を落としました。
事件では、丸ノ内線の車内で 被害に遭い、重い後遺症で 寝たきりとなっていた浅川幸子さん(56)が 今月10日に死去し、死者は14人となりました。ほかに6000人余りが 重軽傷を負いました。
教団が起こした一連の事件で 2018年7月、元代表の松本智津夫元死刑囚=執行時(63)=ら 13人の死刑が執行されました。
地下鉄サリン事件とは…⁉
1995年(平成7年)3月20日に東京都で発生した同時多発テロ事件。警察庁による正式名称は、地下鉄駅構内毒物使用多数殺人事件(ちかてつえきこうないどくぶつしようたすうさつじんじけん)。日本国外では「英:Tokyo Attack」と呼ばれることがあります。世界でも稀に見る大都市圏における化学兵器を利用した無差別テロ事件。
宗教団体のオウム真理教によって、帝都高速度交通営団(現在の東京メトロ)で営業運転中の地下鉄車両内で神経ガスのサリンが散布され、乗客及び乗務員、係員、さらには被害者の救助にあたった人々にも死者を含む多数の被害者が出ました。1995年当時としては、平時の大都市において 無差別に化学兵器が使用されるという世界にも類例のないテロリズムであったため、世界的に大きな衝撃を与えました。
同僚は50名が被害に⁉ 後世に伝えていかなければならない…
今回のこの報道にも多くのコメントが寄せられていますが…
《 当時、神谷町駅の職場まで利用していた路線です。出勤時間が早かったので被害は受けませんでしたが、外を走る救急車とパトカーのサイレンの音を今も覚えています。亡くなられた方のご冥福とカルト教団への恐怖と怒りを感じます 》
《ほんとうにひどい事件であった。今後こういうことが無いよう、後世に伝えていかなければならない 》
《 私が何時も乗っている時間と車両でしたが、当日は早朝会議で難を逃れました。それでも同僚は50名が被害に遭いました。これで死に対する捉え方が変化しました 》
等など、その時に 同僚が 現場にいた方なども含めて、事件に対する思いを語る声が寄せられていました。