テレビで活躍する人と言うのは、時代と共に移り変わりすることも多いです。そのためある一定の年齢層の中ではずば抜けた認知度があると言う人でも、それ以外の年齢層になるとたちまちに認知度が低くなると言うこともあります。2000年に芸能界を引退した上岡龍太郎さんも、そうした芸能人のひとりと言えるかもしれません。
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上岡龍太郎さんは、政治家として活躍したころもあった横山ノックさん、そして横山フックさんと共に、横山パンチと言う名前で漫才トリオを結成し、それにより人気を博します。しかし横山ノックさんの政治家としての活動が多くなる中で、漫才トリオとしての活動はじょじょに少なくなっていきます。上岡龍太郎さんは、横山パンチから上岡龍太郎として活動を始めますが、仕事には恵まれません。しかしそれでも近畿圏の放送局、ラジオ局を中心に少しずつ活動の場を広げていきます。自ら営業活動を行うなど、そのバイタリティが現場の人間にも認められるようになると、近畿、中京の放送局限定ながら破竹の勢いで活躍し始めます。
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長年、東京には絶対に行かない、と番組内などで公言していたのですが、「笑っていいとも」のテレホンショッキングに出演し、横山ノックの元相方と言う形で認知されます。これに反応したのが、かつての横山パンチのファンであった若者たちで、テレビ局のディレクターやプロデューサーなどに昇格していたその人たちの力添えもあり、上岡龍太郎さんは東京でもレギュラー番組を多数持つようになります。関東圏の人にとっては「鶴瓶上岡パペポTV」の出演者として、そして関西圏の人にとっては、爆発的人気を誇る長寿番組「探偵!ナイトスクープ」の初代局長として、特に記憶が強い芸能人ではないかと思われます。
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そんな上岡龍太郎さんが芸能界を引退したのは、以前からそう公言していたからです。芸能生活40周年を迎える2000年の春ごろになったら、完全に隠居する、と言う自らの言葉を実現させたわけですから、非常に潔いと言えます。そんな上岡龍太郎さんの特徴は、理路整然とした、流暢が過ぎる語り口調と、その中に時折、挟み込まれる強烈な毒やブラックユーモアです。そうした毒やブラックユーモアが時には一部の人からの反感を買ったり、番組を一時的に降板させられると言った様々な事態を招くこともありました。しかし非常に理知的、知性的な物の見方、考え方から生み出される言葉や芸風は、いわゆるベタなお笑いが好まれ、生み出されることが多い関西のお笑いにおいては異端であり、だからこそ強烈な個性を放ち続けていました。「芸は一流、人気は二流、ギャラは三流」と言うのは、かつて上岡龍太郎さんが自らの名乗りの際に口にしていた言葉ですが、この言葉の組み合わせからも、芸に対する強烈な自負心と、一方で拭いきることができないような劣等感のようなものを感じることができます。
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芸能界から姿を消し、悠々自適の生活を送っているだろうと思われる上岡龍太郎さんですが、つい最近になって、その名前が芸能界で話題になることがありました。その中心となったのが、お笑いコンビ「ミキ」の存在です。
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2012年結成ながら、関西では漫才コンテストも受賞し、一定のファンもつき始めている期待のお笑いコンビ「ミキ」は、三木昴生と三木亜生の兄弟コンビなのですが、なんとこのふたりは上岡龍太郎さんの甥にあたるとのことで、話題に上ったと言う経緯です。三木兄弟の母親が上岡龍太郎さんの妹にあたるそうなのですが、しかし「ミキ」はつい最近まで、つまり認知度がある程度、広がる時までこのことは明らかにしていませんでした。その理由は上岡龍太郎さんの名前を利用して有名になる、人気が出るのは嫌だと言う思いがあったからだそうです。ちなみに「ミキ」を結成したことは上岡龍太郎さんには告げておらず、また芸人としてデビューしてからは、一度も上岡龍太郎さんには会ったことがないそうです。